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Jリーグ 8年前

フォルラン、J2でのプレーに葛藤は? ピッチ外で経験した降格。W杯MVPが吐露した悲しさ【フットボールと言葉】

シリーズ:フットボールと言葉 text by 竹澤哲 photo by Getty Images

「悲しい気持ちでいっぱいだった」

2014年シーズンの大阪ダービーでは2得点を奪ったフォルラン
2014年シーズンの大阪ダービーでは2得点を奪ったフォルラン【写真:Getty Images】

 よほどはけ口を求めていたにちがいないと、その時私は思った。

 日本のスポーツ新聞の中にはこれをフォルランのクラブ批判と受け取って報道するものもあった。そのことに触れると、「あの時何をしゃべったかあまり覚えていないんだ。でも私は一度もセレッソを批判したことはない。それぞれ物事の見方も受け取り方も異なることは理解している」と前置きをしてから、今一度、昨季を振り返った。

「序盤戦、鹿島に勝利し、ガンバと引き分けた。これらのチームは最終的に上位に収まっているが、セレッソよりも優っていたわけではなかったのだ。ところが終盤戦、清水、仙台、大宮と同じく残留を争うチームを相手に勝てなかった。チームは明らかによくなかったということだ。

 終盤の3ヶ月間私は試合にも出られず、また招集もされなかった。その間、結局、私の得点数を上回る選手はでてこなかった。それはチームが得点できていないことを示すものだ。チームが勝利するには得点が必要だ。フットボールはもっとシンプルなもののはずだ。試合の時点で、最も状態のいい選手を起用するだけだ。何の秘密も存在しない。私は監督の決定に関しては常にリスペクトしているが、それでも理解できなかった。だから悲しい気持ちでいっぱいだった」

 そんなときこそ、地球の反対側にいるファミリーの存在を強く意識したのではないか。

「いや、兄が来ていたから大丈夫だった。たしかに日本で生活をはじめた頃は、とても幸せに感じていた。生活のクオリティは高いし、人々はとても親切だ。日々、何もかもが新鮮で、だから地球の反対側にいるなんて意識することもなかった。でも最後の3ヶ月間は、週末に試合に出られないから100%幸せに感じることができなかった。今回、例え状況が変わらなかったとしても、契約があるから戻って来ただろうけど、より困難となっていただろう」

(取材・文:竹澤哲)

【次回へ続く】

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