フォルランが日本で覚えた違和感。選手たちのパッション不足。ACL軽視への疑問【フットボールと言葉】

異なる言語間では、翻訳困難な語は無数にある。それはフットボール界においてもしかり。外国のフットボーラーが語った内容を、我々はしっかりと理解できているのだろうか。選手、監督の発した言葉を紐解き、その本質を探っていきたい。今回取り上げるのはディエゴ・フォルラン。“サクリフィシオ”(犠牲心)をキーワードに、ウルグアイ人FWがセレッソ大阪に残したかったものは何かに迫りたい。(取材・文:竹澤哲)

2016年07月08日(Fri)10時00分配信

シリーズ:フットボールと言葉
text by 竹澤哲 photo Getty Images
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日本の選手に感じたパッション不足

セレッソ大阪でプレーしたディエゴ・フォルラン
セレッソ大阪でプレーしたディエゴ・フォルラン【写真:Getty Images】

 2016年3月に行ったインタビューの際、これまで何度も耳にしてきたサクリフィシオ(スペイン語で「犠牲心」)という言葉の意味をフォルランにあらためて尋ねた。

「日々の生活には何かやりたいと思うことがたくさん出てくる。でもフットボールに取り組まなければいけないから、やりたいことは我慢してフットボールに専念する。そうする責任があるからだ」

 エル・オブセルバドールのインタビューでは、日本人選手が酷暑の中、練習することがサクリフィシオだと誤解していることにも触れている。

 たしかに献身的にチームのためにプレーしたり、犠牲心を持つことも意味するが、フォルランがいうサクリフィシオというのはもっと前向きな取り組み方を指しているようだ。フットボールを単なる仕事とは割り切れるものではないからこそ、サクリフィシオを持つ必要があるのだとフォルランは説明する。

「フットボールはロジカルなものではない。“感じる”ことが大切なんだ。選手とは創られるものでもないし、生まれるものでもない。才能があっても一生懸命練習をしなければ優秀なプロ選手になれない。そのためにはプレーすることに幸せを感じ、パッションを感じていなければ無理だろう。

 私が日本と他の国との大きな違いを感じたのは、日本人選手の多くがフットボールを仕事のように感じていることだ。たしかにプロ選手はそれでお金をもらっている。しかし事務所にいって、タイムカードを押して8時間働いて、お疲れ様というのとは大きく異なるんだ。

 スポーツはそのようなものではない。フットボールだけではなく、多くのスポーツにおいて、サクリフィシオが要求される。天職以上のものであるという感覚をもち、パッションを感じて取り組まなければならないものだ」

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