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Jリーグ 8年前

G大阪、中盤の配置転換で脱「宇佐美ロス」へ。トップ下・遠藤、ボランチ・倉田が放つ輝き

text by 藤江直人 photo by Getty Images

「ガンバ大阪の遠藤保仁ではなく、遠藤保仁のガンバ大阪」

トップ下に上がった遠藤に代わってボランチを務めた倉田秋
トップ下に上がった遠藤に代わってボランチを務めた倉田秋【写真:Getty Images】

 ガンバの梶井勝志強化本部長は、遠藤の存在をこんな言葉で表したことがある。

「ガンバ大阪の遠藤保仁ではなく、遠藤保仁のガンバ大阪ですよね」

 あまりに突出していて、代えのきかない遠藤の存在は数字にも表れている。長谷川監督のもとでJ1を戦った2014シーズン以降のリーグ戦で、遠藤はフィールドプレーヤーではただ一人、全86試合で先発メンバーに名前を連ねて現在に至っている。

 そのうちフル出場を果たしたのは78試合。トータルの試合時間7740分間に対する遠藤の出場時間は7685分間を数え、出場率は実に99.29%に達している。

 いまも衰えをみせない技術と戦術眼を駆使する遠藤だが、今年1月には36歳になっている。生身の人間である以上は、誰もが肉体の衰えと正面から向き合わなければいけない。

 ただでさえ、ボランチは攻守両面で心と体に負担がかかる。ガンバを愛してやまない遠藤にとって、チームの状態がなかなか上向かなかったファーストステージにおいては、なおさら焦燥感を募らせたはずだ。

 だからこそ、打開策として長谷川監督は「中盤の配置転換」に打って出た。遠藤をトップ下で攻撃に専念させる一方で、誰をボランチにすえるか。白羽の矢を立てられたのは倉田だった。

 攻撃的な中盤のイメージが強い倉田だが、ジュニアユースからユースをへて、ガンバのトップチームに昇格した2007シーズンはボランチを主戦場としていた。

 しかしながら、当時は遠藤と明神智和(現名古屋グランパス)がボランチで黄金コンビを組んでいた。厚い選手層の前に出場機会を得られないなかで、倉田は期限付き移籍での武者修行を選ぶ。

 2010シーズンにJ2のジェフ千葉で、2011シーズンにはJ1のセレッソ大阪でプレー。ハードワークと2列目でのプレーを身につけて、復帰した2012シーズン以降は中盤のマルチプレーヤーとして、2014シーズンの三冠獲得と2015シーズンの天皇杯連覇に、いぶし銀の輝きを放つプレーで貢献してきた。

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