Jリーグでは主流も、日本代表ではなじみの薄い4-4-2。基礎的なアイデアを持ち込んだオフト【西部の4-4-2戦術アナライズ】

2016年07月20日(Wed)11時29分配信

シリーズ:西部の4-4-2戦術アナライズ
text by 西部謙司 photo Getty Images
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3-5-2のまま攻撃型にシフトした横山監督時代

横山監督時代から日本代表に加わったラモス瑠偉(左)と三浦知良(右)
横山監督時代から日本代表に加わったラモス瑠偉(左)と三浦知良(右)【写真:Getty Images】

 石井監督の後任となった横山謙三監督は、同じ3-5-2でも攻撃型にモデルチェンジする。石井監督のときは目前の五輪予選に向けて守備を重視していたが、それを続けても将来の飛躍がないと考えた横山監督は、若手の発掘や育成の見直しなど、抜本的な改革に着手した。

 若手の経験不足もあって当初は難航したが、90年アジア大会から三浦知良、ラモス瑠偉が加わり、武田修宏、北澤豪もメンバーに定着。攻撃陣が読売クラブで固められると主導権を握れるようになっていった。ウイングバックには福田正博が起用されていてメンバー構成は攻撃型だった。

 3バックの採用理由は石井前監督と同じで、対戦相手に2トップが多かったからだ。前記のとおり、この時期の2トップ対応はゾーンの4-4-2か、リベロを置いたマンツーマンの3バックか。4-4-2のほうはリバプールが代表的だが、3-5-2は84年ヨーロッパ選手権でデンマーク代表が旋風を起こしていた。

 日本リーグで3バックを採用していたチームはほとんどなく、強豪の読売クラブも4人のゾーン。ただ、守備組織の実体はゾーンとマンツーマンの中間という感じだった。日本サッカーにゾーンディフェンス文化は希薄で、ブラジル方式のラインディフェンスを採用していたヤンマーのような例はあっても、全体としてはマークをはっきりさせたほうが適応しやすかったようだ。

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