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Jリーグ 7年前

大卒後シンガポールのMVP経てJ1デビュー。“逆輸入Jリーガー”、新潟・河田篤秀の軌跡

text by 藤江直人 photo by Getty Images

意外に例が少ない、シンガポールから新潟のルート

 昨年9月にアルビレックスの練習に参加した河田のもとには、その後に正式なオファーが届いた。アルビレックスからシンガポールにプレー機会を求める選手はいても、逆のパターンとなると意外に少ない。

 たとえば、2015シーズンのSリーグで『Player of the Year』に輝いたMF小暮郁哉は、2008シーズンからアルビレックスでプレー。水戸ホーリーホック、当時JFLのアスルクラロ沼津への期限付き移籍をへてシンガポールに移籍し、昨シーズンは同国のホウガン・ユナイテッドFCでプレーしている。

 2004シーズンから全員が日本人の外国人チームとしてSリーグに参戦してきたシンガポールは、同国を含めた東南アジアへ日本人選手を輩出する“経由地”を担うことも多くなった。河田も海外挑戦の継続を視野に入れていたが、アルビレックスからの届いたオファーが運命を変えた。

「僕はたまたま練習参加させていただいて。やはり一度はJリーグでプレーしたいと思っていたので、オファーが届いたときは迷わず決断しました。あらためて振り返ると長かった、と思えますけど、すべてをポジティブに考えるタイプなので。いま現在のために必要な時間だった、と思っています」

 YBCルヴァンカップのグループリーグ2試合に途中出場。次はリーグ戦へ、と意気込んだ矢先の5月16日に右足関節前方インピンジメント症候群を患い、右足首の手術を余儀なくされた。全治まで8週間から10週間を要すると診断されても、前向きな姿勢は変わらなかった。

「けがは仕方のないことなので。ここからチームの力になれれば、それはそれでいいんじゃないかと僕自身は思っています」

 迎えた2017年7月30日。記録上では「後半26分からFW平松宗に代わって途中出場」以外に特筆すべき事項がないデビュー戦は、河田の記憶のなかに未来への決意、あるいは教訓として色濃く刻まれる。

「自分がボールをもったときにもっとゴリゴリいって、前向きにプレーしたかったんですけど。味方がクリアするボールが多かったこともあって、まずはボールをキープすることを意識しすぎました。前への怖さを出せなかったことは、自分的には反省しています。

 ただ、チームとしては、さらに失点しなかったことをポジティブにとらえたい。アウェイだし、引き分けは完全に前向きな結果だと思うので。J1でデビューできたことは嬉しいけど、僕自身はエースになる、という大きな目標がある。そのためにも結果を出さなきゃいけない、とあらためて思いました」

 追い求める理想像は「頼む、任せたというボールを何とかできる、たくましいフォワード」と胸を張る。依然として最下位に低迷し、今後も厳しい戦いを強いられるアルビレックスにとって、波瀾万丈に富んだサッカー人生をポジティブな思考に投影できる、河田のような存在が浮上への起爆剤となるかもしれない。

(取材・文:藤江直人)

【了】

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