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日本代表 6年前

98年仏大会、“急造3バック”の功罪。守備善戦も「カズ落選」で勝利遠のく【日本代表W杯の記憶】

日本代表は30日に行われるガーナ戦に向けた27人のメンバーを発表した。この27人からロシアワールドカップを戦う23人に絞り込むのが基本線となるが、西野朗監督はどのようにチームを作るのか。一定の成功と大きな失敗を繰り返してきた日本代表の過去から学ぶべきことは? 第1回は98年フランス大会。(取材・文:元川悦子)

シリーズ:日本代表W杯の記憶 text by 元川悦子 photo by Getty Images

本番直前に4バックから3バックへのシフト

日本代表
日本が初めてW杯に出場したのは1998年のフランス大会。この時は本番直前に、4バックから3バックへシステムを変更している【写真:Getty Images】

 5月21日から関東近郊で行われる2018年ロシアワールドカップ直前合宿。ここから西野朗新監督率いる新生・日本代表のチーム作りが本格的にスタートする。本番まで1カ月足らずという短期間で、新指揮官がいかにして勝てるチームを作り上げるのか。そこは非常に興味深いところだ。

 西野監督は所属のフランクフルトでボランチと3バック中央の両方をこなしているキャプテン・長谷部誠を最終ラインに下げ、3バックにシフトするのではないかという見方も根強い。

 FIFAランク60位という日本が格上の相手に勝つためには、守りにより多くの人数を割いて守備的に戦うしかない。そう考えると、3バックへの布陣変更は理に叶っていると言っていいかもしれない。

 改めて振り返ると、日本が初めてワールドカップに参戦した20年前の98年フランス大会でも、本番直前に4バックから3バックへのシフトが行われているのだ。

 97年9〜11月のアジア予選を何とか突破した岡田武史監督(FC今治代表)率いる日本代表は、98年2月のオーストラリア遠征から本大会に向けて再始動した。

 このタイミングで柳沢敦(現・鹿島コーチ)や中村俊輔(磐田)ら20歳前後の若手初招集に踏み切り、3月のダイナスティカップ(韓国・香港・中国戦=横浜)で城彰二(解説者)と中山雅史(沼津)の新たな2トップコンビを試し、4月の日韓戦(ソウル)でも10代の小野伸二(札幌)や市川大祐(清水普及部)をトライするなど、さまざまなテストを繰り返したが、基本布陣は4バックのままだった。

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