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日本代表 6年前

ザック氏が語る日本代表への「誇り」の意味。イタリアには無い“敬意”と8強への課題【ロシアW杯】

text by 浜川絵理 photo by Getty Images

周囲への「敬意」が欠けているイタリア

 イタリアと日本の公道で大きく違うのは、イタリアの公道には多くのごみ箱が設置されていることだ。以前、日本へ留学していたイタリア人の友人から「どうして日本では道にごみ箱が無いのに、道にごみが落ちていないのか?」と聞かれたことがある。

 というのも、イタリアではごみ箱が100mに一つくらいの間隔で設置されているのだ。一方の日本では、公道でごみ箱を見かけることはほぼはないだろう。日本で公共のごみ箱といえば駅に設置されているものであり、ごみは自宅あるいは止むを得ずコンビニで捨てる人も多いのでは無いだろうか。

 しかしイタリアでは、これだけ多くのごみ箱が設置されていても、更にそのごみ箱に灰皿が備え付けてさえあっても、ごみもタバコの吸い殻も道に落ちているという状態なのだ。さらに、公道にごみ箱が設置されているということは、そのごみを回収する人たち、つまり掃除係が存在することを意味する。彼らはごみ箱一つ一つに専用のビニール袋をセットして、毎日、あるいは数日に一度交換しなければならない。道にごみが落ちていればそれを回収しなければならない。そうでなければ道にどんどんごみが増えていってしまう。

 ただ、不思議なことにイタリア人は非常に綺麗好きだ。イタリア人の家に招待されると、何を触るにも申し訳ない気持ちになるくらいにどこの家も全てが一糸乱れず整っている。もちろん全ての家庭がこのような状態ではないのかもしれないが、自分たちはそれだけ綺麗好きであるはずなのに、なぜ公共の空間を綺麗に使う努力をしないのか、と何度も疑問に思ってきた。

 それはザッケローニ氏が話す、日本代表選手たちが示した「敬意」と関係するのかもしれない。イタリアには“みんなが使うものなのだから綺麗に使おう”という感覚、“掃除係の人たちの負担を減らそう”という考えがあまりない。周りの人たちへの「敬意」が足りないのだ。日本では、“ヨーロッパでは掃除係の仕事をなくさないためにあえて綺麗にしていない”という声も聞かれるが、恐らくそういった考えは一切ないだろう。

 つまり、日本人には周りの人たちへ一定の敬意を示すことが習慣づいている。このような日本人の行動について、ザッケローニ氏は「こういう(倫理的な)水準を持っているのは日本人だけだ。これは他のアジアの国々と全く違うところだ」と、ある逸話を交えながら評価している。

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