フットボールチャンネル

Jリーグ 5年前

中村俊輔を奮い立たせた「師匠」からの電話。41歳来季も現役、稀代の名手が誓う完全復活

text by 藤江直人 photo by Getty Images

もう一度かつての感覚を

 2人の出会いは1997年にまでさかのぼる。神奈川・桐光学園の司令塔として、全国高校サッカー選手権準優勝という肩書きを引っさげて横浜マリノス(当時)入りした俊輔を特に可愛がったのが、1994年に静岡・清水商業を日本一に導き、マリノスと日本代表でも守護神を拝命していた川口だった。

「1年目のときに同じトレーナーのもとへ誘ってくれたのも能活さんだったし、紫色のフェアレディZで送り迎えもしてくれて……違うか、スカイラインだったかな。とにかく、すごく緊張したのをいまでも鮮明に覚えている」

 ともにマリノスから海外へ飛び立ち、同時に日本代表の屋台骨を背負う存在となってからも、太く強い絆で結ばれ続けた。たとえば2010年の南アフリカワールドカップ。2大会連続で「10番」を託されながら、岡田武史監督の決断によって、開幕直前で俊輔は司令塔からベンチへと降格させられた。

 低空飛行が続いていたチームへ注入する、カンフル剤の意味合いも込められたメンバーと戦術の大転換。日本代表のために非情なる現実を受け入れながらも、少なからず落胆していた俊輔の部屋を訪ね、笑顔を浮かべながら「頑張ろうよ」とエールを送ってくれたのが川口だった。

 当時の川口はゴールマウスを守れないことを承知のうえで、岡田監督からチームキャプテンに指名され、4大会連続のワールドカップ代表にサプライズ招集されていた。チームをまとめ、結束力を高めるために舞台裏で粉骨砕身していた姿に、選手だけでなく人間としての大きさも見せつけられた。

 ゆえにいま現在も「師匠」と呼ぶ俊輔は、来季に捲土重来を期すための戦いをすでに始めている。それは軟骨まで痛めている右足首を、オフの間に完治させること。万全なコンディションを作り上げたうえで、右サイドハーフではなく本来のトップ下として攻撃を差配する青写真を脳裏に描く。

「いろいろな人に診てもらって、このオフで右足首は済ませたい。バランスがおかしくなっちゃっているというか、いろいろなところをかばう、というのがあるので。中盤を支配することが自分の強みだし、そういう感覚をもう一度取り戻せれば絶対に。今年もまだまだやれる、自分のプレーで相手をいなせる、という感覚が何試合かはあったから」

1 2 3 4 5 6

KANZENからのお知らせ

scroll top