黄金世代の切磋琢磨
その難しさを肌で感じたのが、99年Jリーグナビスコカップ決勝・柏レイソル戦でのPK失敗だ。6人目のキッカーだった彼がミスをしたことで、つかみかけたタイトルがこぼれ落ちてしまった。
「あのキックの感触は今も残っている。弱くて中途半端なキックになってしまった。1つのキックで試合に勝つこともあれば、負けることもあると知ったし、インサイドキックを狙ったところに蹴る大切さをすごく感じました」と彼は19年前の出来事を昨日のことのように鮮明に記憶している。「勝負の神様は細部に宿る」という言葉があるが、その細部を大切にし、ここまで積み上げてきたからこそ、小笠原満男は常勝軍団の大黒柱になれたのだろう。
もう1つは黄金世代の一員として99年ワールドユース(ナイジェリア)準優勝という偉業を果たしたこと。同じ79年生まれには、鹿島で長年ともに戦った本山、中田浩二、曽ヶ端準に加え、小野伸二、稲本潤一(ともに札幌)、遠藤保仁(G大阪)といったそうそうたるメンバーがいた。傑出した個が集まったチームが世界をキリキリ舞いしていったあの大会はもはや日本サッカーの伝説と言っていい。
その後、黄金世代は2002年日韓・2006年ドイツの両ワールドカップの主軸となり、多くの選手が海外へ出て行った。彼らがそういう道を切り開いたからこそ、本田圭佑(メルボルン)や香川真司(ドルトムント)といった下の世代が若いうちから外に出ることにできた。「日本サッカーを変えた世代」の中心に小笠原はいたのだ。