03年、柳沢敦。44試合0ゴール。「レツィオーゾ(キザ)」と呼ばれ、苦しみ抜いた男の真実【セリエA日本人選手の記憶(5)】

2019年05月31日(Fri)10時20分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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裏目に出た起用法。登り調子が途絶えた要因

 FW陣は大型のCFファビオ・バッツァーニと、シュートセンスの高いフランチェスコ・フラーキの2トップが柱。3、4番手としてスタートした柳沢は、開幕節アウェーのレッジーナ戦で途中出場した。

 ポジションは、4-4-2の左サイドハーフ。後方からのスルーパスを呼び込んでダイレクトで左足シュートを放ち、ボールはGKの手を弾いた末にポストに当たる。インパクトを残した彼は、以降の試合でサイドの切り札として使われるようになった。

 ワルテル・ノベッリーノ監督はそのスピードと技術を評価し、サイドでポジションを用意しようとした。もともとプレーの幅が広く、ドリブル突破やセンタリングなども器用にこなす。練習でも意欲的に取り組み、また人当たりの良さでスタッフにも、練習場に通いつめるドリアーノたちにも好かれるようになっていた。

 左MFの1番手だったクリスティアーノ・ドーニがコンディションアップに苦しむ一方、柳沢はモチベーションを高め試合ごとに評価を上げた。そしてノベッリーノ監督は、第7節のミラン戦で賭けに出た。柳沢を左サイドハーフとして先発させたのである。

 だが、それは完全に裏目に出た。FW出身、急ごしらえのサイドハーフは、相手にとってみれば組織守備の穴。名将カルロ・アンチェロッティ監督がそれを見逃すはずはなく、柳沢の担当するサイドを集中攻撃した。彼が左にいれば左を、右に入れ替えられれば右を攻撃。サンプは前半に1点を失い、柳沢はハーフタイムで交代を命じられた。

 それを境に、開幕からの登り調子は途絶えた。再びベンチが定位置となる一方で、Bから這いあがったバッツァーニとフラーキはセリエAでも強力な2トップとして結果を出し続けていく。FWとしてチャンスが訪れない一方、シーズン後半では若手も成長し左MFとしての途中出場も少なくなってくる。

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