03年、柳沢敦。44試合0ゴール。「レツィオーゾ(キザ)」と呼ばれ、苦しみ抜いた男の真実【セリエA日本人選手の記憶(5)】

2019年05月31日(Fri)10時20分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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またしてもサイドに。イタリアでは受け入れられないそのスタイル

マッシモ・ドナーティ
同時期にサンプドリアからメッシーナに移籍してきたMFマッシモ・ドナーティは「もっと強引に行ってもいいと思う」と柳沢を評した【写真:Getty Images】

 そしてチームの残留が決まった後の4月25日、柳沢にはモデナ戦で先発のチャンスが与えられた。しかし、来シーズンへ向けての戦力査定ともいえるその試合で失敗。ボールを持てばロストを多発し、数々のチャンスを逃した上にチームも敗れた。

 その翌日、ドリアーノたちは練習場で「日本の新聞が売れるから無理やり出したんだろう!」と罵声を浴びせる。それまで親しくしていたファンが表情を一変させた様子を見るのは、本当に心苦しいものだった。そしてサンプドリアは、柳沢の完全移籍契約を結ばない方針を固めた。

 だが、この状況を誰よりも歯がゆく、また悔しく思っていたのは柳沢自身だ。「あがきたい」。彼はイタリアでやり直す意思を固め、2004年にセリエA昇格を決めたメッシーナからのオファーを受けた。

 メッシーナのファンは、柳沢に懐疑的だった。39年ぶりにセリエAに上がったシチリア島の港町のクラブには以前サルバトーレ・スキラッチが所属し、超攻撃的サッカーを駆使したズデニク・ゼーマン監督も指揮を取っていた時期もある。

 攻撃的な選手を見慣れている人々から、彼は「レツィオーゾ(キザ)」と言われた。小洒落たプレーをしたがるという意味だ。前線でボールを受けたのち、ダイレクトプレーで周囲との連係を作り出そうとするプレーを好意的に見なかったのである。

「もっと強引に行ってもいいと思う」。奇しくも、同時期にサンプからメッシーナに移籍してきたMFマッシモ・ドナーティはこう柳沢を評していた。

 結局プレシーズンを通し主力の2トップは、セリエBで実績を上げたリッカルド・ザンパーニャとアルトゥーロ・ディ・ナポリの2名に固まる。開幕からチームはローマやミランを立て続けに破り、予想外の快進撃。その中で結局柳沢は、サイドアタッカーとしてポジション奪取に挑む羽目になった。

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