FC東京が初タイトルを獲得した日。石川直宏の胸を焦がす、あの栄光の記憶【石川直宏 素直(1)】

今シーズンは悲願達成まであと一歩のところに迫ったFC東京。好評発売中の『素顔 石川直宏』から、石川直宏が初戴冠の瞬間を振り返った章を一部抜粋して全5回で公開する。今回は第1回。(文:馬場康平)

2020年01月03日(Fri)10時00分配信

text by 馬場康平 photo Getty Images
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「ここでやってやろうと思った」

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FC東京でプレーした石川直宏(写真は2003年4月5日のもの)【写真:Getty Images】

 心に染み入る景色がある。国立霞ケ丘陸上競技場のスタンドから見上げた、秋空にじんわりと広がった暖色。それを目の当たりにしたとき、「いいな、これ」と奮える体にスーッと喜びと共に溶け込んできた。

「もう一度、これを見てみたい」

 ナオは、あの日のことを今でもそう口にする。だが、沸き立つ喜びの中に、アンビバレントな感情が顔を出す。

「それでもアテネでの悔しさは晴れることはなかった」

 巻き戻すことのできない時間に抗うことなく、アテネでの記憶は片隅へと追いやろうとした。

「日本に帰ってからは、もう次だと思って、考えないようにしていた」

 普段の生活に戻り、いつものように小平グラウンドへと通った。

「何かあんまり記憶がないんだよね。いろんなことを考えていたと思うけど、実際、帰国便の中でどうだったとか、具体的に何を考えていたとか思い出せない」

 帰国してすぐの練習試合で負傷し、検査のために埼玉県内の病院を訪れた。その移動の車中、同行したトレーナーは、「アテネはどうだった?」と声を掛けた。だが、気のない返事が続くばかりで、徐々に呼び掛けにも応じなくなる。信号待ちで隣を向くと、ナオは深くシートに身を寄せて目をつむっていた。

「話をしている最中に助手席で眠っていました。よっぽど疲れが溜まっていたんだと思います。でも、それ以上に自分の気持ちを悟られないようにしていたかもしれないですね。それほど長い会話は続きませんでした」

 アテネ五輪代表を欠く中で、FC東京はナビスコカップで快進撃を続けていた。代表組だけでなく、負傷離脱の選手も多かったが、代わりに出た若手が活躍。ナオがけがでチームを抜けている間に行われた準々決勝でガンバ大阪を破って初の決勝進出まであと一歩のところまで迫っていた。そのゲームは、本来なら10月9日に行われるはずだった。だが、台風の影響で順延となり、4日後に開催されたことがナオには幸いした。

「そのとき、唯一のモチベーションが、ナビスコで勝ち進んでいることだった。アテネのことはしばらく切り替えられそうもなかった。でも、このままでは前に進めないと思っていた矢先に大学生との練習試合で負傷してしまった。本来なら間に合わない予定だったけど、延期になったおかげで間に合った。ここでやってやろうと思った。アテネでの悔しさを晴らすことは難しいけど、自分のプレーを出せた試合だったと思う」

 復帰戦となった東京ヴェルディとの準決勝は、記憶に残るシーソーゲームとなった。ナオはこの一戦に先発出場すると、74分間プレーして2アシストを記録。そしてFC東京は延長戦までもつれ込んだ死闘をルーカスの3点目となるVゴールで制し、決勝進出を決めた。初のタイトル獲得を懸けた決勝の相手は浦和レッズ、舞台は国立。「沈んでなんていられない」。

 想像しただけで体に熱が広がっていった。

(文:馬場康平)
 
▼石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。育成組織から横浜F・マリノスに在籍し、2000年にトップチーム昇格、02年4月にFC東京に加入。03年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、09年にはJリーグベストイレブンを受賞。U-23 日本代表としてアテネオリンピックに出場し、日本代表でも6試合に出場。17年に現役を引退し、翌18年よりFC 東京クラブコミュニケーターを務めている。
 

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(著・馬場康平)

定価:本体1600円+税
クラブからも、サポーターからも愛された石川直宏のバイオグラフィー。
FC東京のサイドを駆け抜け、得点やアシストを量産した石川直宏のサッカー人生は、常に逆境との戦いだった。
右膝前十字靭帯損傷、腰椎椎間板ヘルニアなど、度重なる大怪我に見舞われ、夢だったワールドカップ出場も叶わなかった。
それでも何度も立ち上がり続けたアタッカーの素顔に迫る。

詳細はこちらから

【了】

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