日韓W杯
チュニジア戦の先発メンバー
監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16
背番号7:中田英寿(パルマ)
生年月日:1977年1月22日(25歳)
個人成績:4試合出場/1得点0アシスト
1996年のアトランタ五輪に出場した中田は、98年のフランスワールドカップに背番号8をつけて3試合に先発した。若くして日本代表の中心となった中田英寿は、21歳でイタリアに渡り、ペルージャ、ローマ、パルマと渡り歩いている。02年のワールドカップにも2大会連続の選出を果たし、背番号7をつけることになった。
鈴木隆行と稲本潤一のゴールで2点を奪い、ワールドカップ初の勝ち点を持ち帰ったベルギー戦と、稲本のゴールを守り抜いて初勝利を手にしたロシア戦。中田が得点に絡むことはなかったが、激しいマークに遭いながらも攻守に存在感を発揮した。
そして、グループステージ突破を懸けて戦った第3戦のチュニジア戦で待望のゴールが生まれる。後半開始と同時に投入された森島寛晃のゴールで日本代表は48分に先制。すると75分、森島と同時に投入された市川大祐が上げた右サイドからのクロスに、ファーサイドの中田が頭で合わせると、ボールは相手GKに当たってゴールへと吸い込まれた。このゴールで勝利を決定づけた日本代表は2勝1分でグループステージ突破を決めている。
ラウンド16のトルコ戦でもチャンスを作った。41分には中田浩二のフィードを受けてゴール前でファールをもらったが、三都主アレサンドロのFKはクロスバーに直撃。その後もミドルシュートで相手ゴールを襲い、クロスから西澤明訓の決定機を演出したが、90分間でゴールを奪うことはできなかった。
記念すべき自国開催で背番号7をつけた中田は、4試合すべてに先発出場。ボール奪取からカウンターの起点となり、長短のパスで攻撃陣を操り、強烈なミドルシュートで相手GKを脅かした。1得点という数字以上に存在感を放った中田は、5得点を挙げた日本代表の攻撃陣を牽引した。