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Jリーグ 1年前

【現役限定】浦和レッズ出身ベストイレブン。在籍経験のある選手を呼び戻して生まれる最強チーム

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

MF:橋岡大樹


【写真:Getty Images】


生年月日:1999年5月17日(23歳)
在籍期間:2018年~2020年
リーグ戦成績:74試合4得点
現所属クラブ:シントトロイデン(ベルギー)

 地元・浦和で生まれ育った橋岡大樹は、高校3年生だった2017年に2種登録されてトップチームデビューを果たした期待の逸材だった。正式に昇格した翌年には、中学時代から指導を受けていた大槻毅がトップチームの監督に就任したことをきっかけに出場機会を増やしている。

 ユース時代はセンターバックでプレーすることが多かったが、トップチームでは右サイドで起用された。182cmとサイズがあり、上下動し続けられる運動量とスピードを兼ね備える橋岡は、その特徴を発揮して定位置を確保した。

 2019年には、EAFF E-1サッカー選手権に追加招集され、日本代表デビューを飾る。浦和では3シーズンプレーし、東京五輪を半年前に控えた21年冬に海を渡る。シントトロイデンではシーズン終盤にレギュラーに定着し、東京五輪にも出場。文字通り浦和から世界へ羽ばたき、さらなる活躍が期待されている。

MF:柏木陽介


【写真:Getty Images】

生年月日:1987年12月15日(35歳)
在籍期間:2010年~2021年3月
リーグ戦成績:311試合44得点
現所属クラブ:FC岐阜

 サンフレッチェ広島ユース出身で、トップチームでは10番を背負った柏木陽介が浦和に加入したのは2010年。06年にリーグ優勝、07年にアジア制覇と栄華を極めたメンバーが徐々に抜け、転換期ともいえる時期だった。その中で柏木は中盤の司令塔に君臨し続け、得点とアシストを生み出し続けた。加入から7シーズンのリーグ戦で欠場したのはわずか10試合。この時代は日本代表にも呼ばれ、通算11試合に出場している。

 タイトルに恵まれない時期が続き、2017年にはシーズン途中に恩師ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が解任されてしまった。しかし、AFCチャンピオンズリーグでは川崎フロンターレや上海上港を撃破し、大会を制するとともに柏木は大会MVPに輝いた。

 阿部勇樹からキャプテンを引き継いだ18年は、リーグトップの13アシストを記録。しかし、19年以降は出番が激減。21年には度重なる規則違反によりチームを追放されてしまった。晩年はサポーターの信頼を損なってしまったが、その功績はベストイレブンに相応しいものである。

MF:長谷部誠


【写真:Getty Images】

生年月日:1984年1月18日(39歳)
在籍期間:2002年~07年
リーグ戦成績:149試合12得点
現所属クラブ:浦和レッズ

 日本代表では通算114試合に出場してキャプテンを務め、39歳となった今もブンデスリーガで活躍し続ける長谷部誠が、プロキャリアをスタートさせたのは浦和レッズだった。名門藤枝東高校から浦和に加入したのは2002年。当初はトップ下の選手だったが、ボランチの定位置を確保した。推進力のある長谷部とカバーリングに長けた鈴木啓太のコンビは抜群の存在感を放っていた。

 プロ3年目の2004年には第2ステージ優勝に貢献し、自身は初のベストイレブンに選出された。06年2月には日本代表デビューも果たし、この年はクラブ悲願のリーグ優勝へと導いた。翌年はAFCチャンピオンズリーグを制覇。3位に輝いたFIFAクラブワールドカップがラストマッチとなり、翌年からはドイツに活躍の場を移している。

 Jリーグ通算149試合に出場した長谷部は、在籍した6年間でJ1リーグ、リーグカップ、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグと、主要タイトルをすべて獲得している。輝かしい実績を残したのが日本代表やブンデスリーガだけではないことを忘れてはいけない。

MF:原口元気


【写真:Getty Images】

生年月日:1991年5月9日(31歳)
在籍期間:2009年~2014年6月
リーグ戦成績:167試合33得点
現所属クラブ:シュトゥットガルト(ドイツ)

 原口元気は浦和レッズが輩出した最高の選手の1人だ。2008年5月に17歳という若さでトップチームデビューを果たし、プロ契約を結んだ翌年にはリーグ戦32試合に出場した。左サイドから繰り出される切れ味鋭いドリブルは脅威で、2011年は序盤戦からゴールを量産。同年10月には20歳という若さでアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表で初出場を飾っている。

 原口の台頭は、AFCチャンピオンズリーグを制した07年以降の浦和がタイトルに絡めない時期と重なった。2014シーズンは福田正博や永井雄一郎らがつけた背番号9を受け継いだが、シーズン途中に移籍を決断し、ヘルタ・ベルリンへの移籍が5月に発表された。勝気な性格と大人顔負けのプレーという二面性を持った少年は、浦和のエースへと成長して世界へ羽ばたいた。

 その後は日本代表でも活躍し、ロシアワールドカップではベルギー代表からゴールを奪った。そして、ドイツ10年目を迎えた今季の冬、5クラブ目となるシュトゥットガルトへ活躍の場を移している。

MF:小野伸二


【写真:Getty Images】

生年月日:1979年9月27日(43歳)
在籍期間:1998年~01年7月、06年~07年
リーグ戦成績:132試合28得点
現所属クラブ:浦和レッズ

 “天才”が浦和レッズに加入したのはフランスワールドカップが行われた1998年。清水商業時代から注目を集めてきた小野伸二は、1年目の開幕戦でいきなり抜擢され、18歳だった小野もその期待に応えるパフォーマンスを見せた。それから2週間足らずで日本代表にも招集され、韓国代表戦でデビュー。その2か月後にはワールドカップの舞台にも立っている。

 浦和では3年半プレーし、フェイエノールトでは欧州制覇を経験した。2006年には浦和に復帰して夏にワールドカップ出場を果たしたが、ワールドカップ後は途中出場が増えた。それでも、卓越したテクニックは健在で、06年天皇杯では準々決勝で2得点、準決勝では1得点1アシストを挙げ、優勝の立役者に。翌年もAFCチャンピオンズリーグで2得点を記録するなど、要所で印象に残る活躍を見せた。

 2シーズンで浦和を離れた小野は、ボーフムや清水エスパルスなどでプレーし、北海道コンサドーレとは2022年に生涯契約を結んだ。選手として浦和に戻ってくることはないかもしれないが、その天才的なテクニックは今も多くの人たちの記憶に焼き付いている。

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