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Jリーグ 8か月前

「すごく嫌だった(苦笑)」サッカー日本代表初選出、毎熊晟矢の転機と指揮官の慧眼【コラム】

シリーズ:コラム text by 元川悦子 photo by Getty Images

いきなりのコンバートと指揮官の慧眼



 Jリーガーになるまでの毎熊はFWが本職。右SBにコンバートしたのが、長崎を率いていた手倉森誠監督だった。

「プロ1年目のキャンプの練習試合の前日に『とりあえず明日、右SBをやってみて』と言われたのが最初です。自分は1年目の選手だったし、そういうこともあるのかなとは思いましたけど、正直、すごく嫌だった(苦笑)。コーチをしていた吉田孝行さん(現神戸監督)に『このままSBなんですか』と言いに行ったこともありました。そんな時、吉田さんが『このポジションでやれば代表まで行ける可能性がある』と高く評価してくれた。それで僕自身もポジション変更を前向きに捉えられたし、積極的にトライできるようになりましたね」

 本人は違和感も覚えたコンバートを自分なりに消化し、取り組むことで、確実に変貌を遂げたことを明かす。

 しかしながら、2022年にセレッソ大阪に赴いてからは、絶対的右SBとして長く君臨してきた松田陸がいたため、毎熊は当初、右MFなどで起用されるケースが多かった。

 状況が一変したのは今季。2月18日のリーグ開幕・アルビレックス新潟戦から3試合続けて右SBのスタメンを勝ち取った後、いったんは松田に出場機会を譲ったものの、5月半ば以降は完全に定位置を確保。ジョルディ・クルークスとの縦関係が機能し、セレッソの攻撃に厚みが増したことで、小菊昭雄監督も毎熊に強い信頼を寄せるようになっていったのだ。

 指揮官は毎熊を「和製ハキミ」と呼び、世界に通じる攻撃的右SBになってほしいとハイレベルな要求を続けている。それも彼自身にとって大きな刺激になり、夏場以降は存在感が一段とアップ。ついには代表入りを射止めるまでになった。これまで年代別代表含めて日の丸は無縁で、大学選抜も候補止まりという無名の男が、25歳にしてとうとう表舞台に上り詰めたのである。毎熊は目を輝かせながらこう話す。

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