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Jリーグ 1か月前

「それまでの何かを捨てなきゃいけない」。横浜F・マリノスのため、飯倉大樹が「次の世代へ伝えていく」【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

「いろいろな考えなどがネット上などに飛んでいる。それでも事実はひとつ」

「シゲさんが自分で辞めると決めたというか、ずっとマリノスのためにやってきたシゲさんが、マリノスの今後のために選んだ道だから、それ以上でもそれ以下でもないのかな、と。冷たい言い方に聞こえるけど、決してそうじゃなくて、シゲさんの意思を尊重しながら、俺は新しいマリノスのために頑張っていく。

 レジェンドが現場を去ったいまは、いろいろな人のいろいろな考えなどがネット上などに飛んでいる。それでも事実はひとつだし、だからこそマリノスを背負ってくれた方々がいていまがあるのを忘れちゃいけない。そういった方々のためにも循環していくというか、進んでいかなきゃいけないと思っているので」

 松永さんとの出会いは18年前までさかのぼる。マリノスユースから2005シーズンに昇格するも、公式戦の出場機会をえられなかった飯倉は、翌2006シーズンに当時JFLのロアッソ熊本へ期限付き移籍。26試合に出場し、ある程度の自信や手応えを手土産に、2007シーズンに復帰を果たした。

 同時期にキーパーコーチに就任したのが松永さんだった。愛知学院大学から1985年に日産自動車へ加入。1988-89シーズンから2年間、日本サッカーリーグ、天皇杯、JSLカップの国内三冠を独占した黄金期の守護神で、サッカー日本代表や1993年に産声をあげたJリーグでも活躍した松永さんの第一印象は強烈だった。

「もう鬼のような人だったよね。想像のつかない、とんでもないハードな練習を課されたし、練習に行くのが嫌になるくらいだった。でも、それがあったからこそいまの自分があるし、僕がいまもプロサッカー選手をやっていられるのはシゲさんのおかげなので本当に感謝しています」

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