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2025年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)サッカー競技の開幕が近づいている。高校サッカーで名を上げ、プロの世界に入ってくる選手の活躍は楽しみだが、大会で注目を集めながらもプロ入り後にパッとしなかった選手もいる。今回は、インターハイでインパクトを残しながらも、プロとして期待されたほどの活躍ができなかった選手を紹介する。
MF:山形恭平(やまがた・きょうへい)

【写真:Getty Images】
生年月日:1981年9月7日
出身高校:東福岡高等学校
主な在籍クラブ:サンフレッチェ広島、アビスパ福岡、V・ファーレン長崎
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山形恭平は、東福岡高等学校の出身で、1997年のインターハイ優勝メンバーの一人だった。
東福岡はこの年、本山雅志、古賀誠史、千代反田充といった選手を擁し、インターハイのほかに全日本ユース選手権(現・高円宮杯 U-18リーグ)、全国高等学校サッカー選手権大会でも優勝し、史上初の高校3冠を達成した。そのチームに、1年生ながらベンチ入りしていたのが山形である。
もっとも、山形を語る上で忘れられないのは、高校2年時の第77回全国高等学校サッカー選手権大会である。1年前と同じように決勝戦で帝京高等学校と対戦した東福岡は、相手にリードを許す厳しい展開だったが、後半に山形がハットトリックを達成し、4-2の逆転勝利。見事に2連覇を成し遂げた。
山形は、ドリブル突破や決定的なスルーパスを繰り出せるMF。中盤から前線に飛び出し、自らゴールを決める力も持ち合わせていた。その得点力が、大舞台で見事に爆発した。
高校卒業後はサンフレッチェ広島に加入したが、出場機会には恵まれず、2004年にJ2のアビスパ福岡へ移籍。この年は38試合で8ゴールを記録し、高校時代さながらの得点力を見せた。翌2005年には背番号10を背負い、チームのJ1昇格に貢献する。
しかし、昇格後は出場が減少し、再び苦しい時期が続いた。
2007年にはJ2で再び存在感を発揮し、翌2008年には当時九州リーグ所属のV・ファーレン長崎に加入。クラブのJFL昇格に貢献し、その後現役を引退した。