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日本代表 10年前

“4番”強奪、こだわる王道の戦い方、チームへの苦言。今振り返る、本田圭佑の言葉

2011年8月から怪我のため代表を離脱していた本田圭佑。復帰してからの彼は饒舌だった。背番号4を付けた理由、チームのスタイル、さらに質を高めるための敢えての苦言。今とは考えられないほどよく話していた。

text by 元川悦子 photo by Getty Images

「コマちゃんはよほどのこだわりがあるらしくて軽く断られて」

 2011年8月末に右ひざ半月板損傷の大ケガを負い、CSKAでも11-12シーズンの約8ヶ月間を棒に振った本田圭佑。その間、2014年ブラジルW杯アジア3次予選に挑んだ日本代表は「本田欠乏症」にあえぎ、北朝鮮戦・ウズベキスタンの終盤2試合を連敗。

 グループ1位通過を逃すという失態を演じた。ザッケローニ監督も4月に国内組だけの強化合宿を実施するなどチーム底上げを図ったが、やはり待ち望んだのが本田の復帰だろう。

 その大黒柱が戻ってきたのが、2012年5月のアゼルバイジャン戦だった。6月の最終予選序盤3連戦を控えて、先発出場したエースがどこまで本調子を取り戻しているかは日本中の関心事に他ならなかった。

 その本田が見る者をいきなり驚かせる。2010年南アW杯で成功を収めた記念すべき背番号18をあっさりと前田遼一に譲り渡し、栗原勇蔵がつけていた4番をつけてピッチに立ったのだ。

「もともと18番は与えられた番号やったんで、2年くらいプレーしたけど、あんまり好きじゃなかった。好きな番号っていえば10番やけど、(香川)真司って決まってるし、もうちょっと面白い番号ないかなって考えたときに3、4番あたりかなと。

 それで最初、3番のコマちゃん(駒野友一)に話したら、コマちゃんはよほどのこだわりがあるらしくて軽く断られて、それで勇蔵君にOKをもらった。

 自分が4番をつけた時、周りからは違和感があるって言われるだろうけど、それは常識に囚われてるから。攻撃の選手はもうちょっと上の番号をつけるってイメージは払拭したいなと思ってるし、今後2番や3番がエースストライカーの番号になってもいいわけで。

 そこは俺が変えていければと思ってるし、そのためにももっとゴールに絡む動きをして、初めて4番で点の取れる選手になれれば面白いのかなと思います」と彼は大挙して集まったメディアを前に持論を展開した。

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