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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。優勝しても批判、セレソンを左右する“フッチボウ・アルチ”の文化(その3)

ブラジルには「フッチボウ・アルチ(芸術サッカー)」という文化がある。ただ勝利するだけでは不満で、美しい攻撃が要求される。それを体現したのが70年W杯のセレソンだった。中心選手、カルロス・アルベルト・トーレスを軸にブラジル独自の文化に迫る。

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール text by 田崎健太 photo by Getty Images , Sachiyuki Nishiyama

フィジカルで負けた66年大会

 ブラジル代表史上最高のチーム――フッチボウ・アルチ(芸術サッカー)の基礎を築いたのは、監督のジョアン・サルダーニャだった。

 サルダーニャは1917年、ブラジル南部のリオ・グランジ・ド・スール州のアレグレテという小さな街に産まれた。彼の監督に至る経緯は少々変わっている。

サッカー選手としてのキャリアはほとんどなく、リオ・デ・ジャネイロのボタフォゴで短期間プレーしただけだ。ブラジル国立法科大学でジャーナリズムを学び、スポーツ記者として頭角を現し、テレビやラジオでコメンテーターとして辛口の評論で知られるようになった。

 1957年、サルダーニャはボタフォゴの監督に就任した。その年から彼は結果を残し、ボタフォゴは州選手権で優勝した。そして、70年W杯前年、ブラジル代表の監督となった。

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。優勝しても批判、セレソンを左右する“フッチボウ・アルチ”の文化(その3)
カルロス・アルベルト・トーレス【写真:Sachiyuki Nishiyama】

 前回66年W杯でブラジル代表はグループリーグで敗退し、メディアから激しく批判されていた。そこで、ジャーナリスト出身のサルダーニャを監督に据えれば批判が緩むと、当時のブラジルスポーツ協会(当時はCBD、後にCBFとなる)ジョアン・アベランジェ会長が考えたと言われている。

 サルダーニャの率いるブラジル代表は南米予選を危なげなく勝ち抜いた。

 カルロス・アルベルトはブラジル代表はW杯本大会で優勝する力があると信じていた。大切なことは大会を通じてフィジカル・コンディションを保つことだった。

「ぼくたちはサントスFCの一員として、様々な国から招待を受けて試合をした。どこの国の選手と対戦しても、技術的に負けたというのは一度もなかった。とにかく欧州の選手たちは力づくでぼくたちを潰しに来た。まるでトラクターでぶつかるような感じだよ」

 そう言うと拳を合わせた。

「66年大会でもブラジル代表はフィジカルで負けたんだ」

 ブラジル代表のフィジカル・コーチとなったクラウディオ・コウチーニョは近代的なフィジカルトレーニングを導入していた。準備は万端だった。

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