福西崇史が回想する06年W杯「ヒデとの口論はただの意見交換。マスコミが喧嘩って書いただけ」

個性豊かなタレントを擁して史上最強と謳われた2006年の日本代表はドイツの地で儚く散った。海外組と国内組のサッカー観の違いは最後まで埋まらずチームが一つになることの難しさを痛感した大会となった。(『フットボールサミット第21回 遠藤保仁、W杯を語る』より)

2014年06月11日(Wed)11時16分配信

text by 原田大輔 photo Getty Images , Kenzaburo Matsuoka
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ジーコジャパンのターニングポイント

――2006年W杯に向けてジーコが日本代表監督に就任しました。トルシエ監督からジーコ監督になり、サッカーはどう変化しましたか?

福西崇史が回想する06年W杯「ヒデとの口論はただの意見交換。マスコミが喧嘩って書いただけ」
2006年W杯に向けてジーコが日本代表監督に就任【写真:Getty Images】

「みんな、ジーコの時は自由だ、自由だって言うけれど、それは規律があっての自由。ベースとなるものはある。ただ、それは磐田で、自分たちで作り培ってきたサッカーとすごく似ていた。選手間で作っていかなければいけない部分が多く、トルシエ監督の時以上に、選手同士が話す時間というのは、ジーコ監督の時のほうが絶対的に多くなったとは思います」

――幾つかターニングポイントがあったかと思いますが、挙げるとすれば?

「一つは間違いなく2004年のアジアカップでしょうね。僕もそうだし、ヤット(遠藤保仁)やコウジ(中田浩二)もそうだけど、海外組が来た時は弾き出されてしまう。だから、アジアカップで結果を出せば文句はないだろうという思いで結束していた。

 海外組からシュン(中村俊輔)と(川口)能活は加わったけど、シュンはシュンでやり方は分かっているというか、僕ら国内組の考えやベースの中に入ってきた状況だったので、チームとしてサッカーを作りやすかった。アジアカップで結果を出せば、意見も言えるだろうし、ジーコ監督も選手を選ぶのに迷うはず。そういう思いでも、チームとしてはすごくまとまっていた」

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