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日本代表 8年前

【英国人の視点/リオ五輪サッカー】手倉森Jが不安定だった理由。不可解な人選と4-4-2放棄、チームの核にも甘さ

text by ショーン・キャロル photo by Getty Images

リーダーシップも良かった12年の吉田麻也。やはり不明瞭な藤春

吉田麻也
吉田麻也【写真:Getty Images】

 当時VVVフェンロに所属していた吉田は五輪の年齢制限を1歳上回るだけで、チームメートたちとほぼ同年代だったが、すでに欧州で2年半のプレーを経験し、アルベルト・ザッケローニ率いるA代表でもレギュラーの座を確固たるものにしていた。

 2011年アジアカップ優勝にも大きく貢献し、2014年W杯予選にも主力として出場していた選手だった。ディフェンスに安心感を与える存在となった吉田は、フィジカルは強いが荒削りだった鈴木大輔を引っ張りつつ、能力と冷静さを存分に披露。チームは44年ぶりのメダル獲得まであと一歩にまで迫ることができた。

 塩谷は非常に良い選手ではあるが、吉田のようにリーダー的な選手として思い浮かぶ存在ではないし、サンフレッチェ広島の用いる3バックの一角としてプレーすることに慣れている。手倉森監督の好む、よりオーソドックスな4バックではない。

 一方の藤春はJリーグではそこそこの選手であり、A代表の経験もなくはないが、左サイドバックとして山中亮輔や亀川諒史が持っていないような何をチームにもたらすことができると監督が感じたのかは少々不明瞭だった。

 前線の興梠は良い選択だと思えたし、最初の2試合ではそれほどボールが供給されない中で十分によくやっていた。浦和レッズ所属のストライカーはJリーグでも特にフィニッシュの才能に恵まれた選手の一人であり、度重なる怪我さえなければおそらくA代表でももう少し定期的にプレーすることができていただろう。

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