森島寛晃氏が見たC大阪の新たな歴史。2度の悲劇を経て、ついにたどり着いた初タイトル

2017年11月06日(月)12時05分配信

text by 藤江直人 photo Getty Images
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2000年、いまも忘れられない瞬間

 迎えた2000シーズン。いまも忘れられない瞬間が訪れる。5月27日のファーストステージ最終節。勝てば無条件で優勝が決まる大一番で、セレッソは一敗地にまみれた。

 相手はくしくも、今シーズンのYBCルヴァンカップの頂点を争った川崎フロンターレ。延長戦にもつれ込み、伏兵のFW浦田尚希にVゴールを決められてからしばらくして、すでに勝利を収めて待機していた横浜F・マリノスが狂喜乱舞する姿がオーロラビジョンに映し出された。

 舞台となった長居スタジアム(現ヤンマースタジアム長居)には、小雨が降り続いたにもかかわらず4万人を超える大観衆が詰めかけていた。チームカラーのピンク色の雨ガッパで一色に染まったスタンドが静まり返った光景を、いまも森島氏は忘れていない。

「ピッチの上であれだけ号泣した記憶はないですね。こんなにもセレッソを応援してくれるサポーターがいるんだと、感激しながら臨んだ試合だった。だからこそ、負けたことがずっと心に残っていて」

 いま振り返れば敵地で行われたマリノスとの首位攻防戦を制し、ステージ優勝に王手をかけた5月20日を境に、心のどこかに隙が生じていた。フロンターレが最下位に低迷していたことも、油断や慢心を招く一因になった。

「戦う前からもう優勝したかのような雰囲気になって、みんなの頭のなかにどんどん勘違いが生まれていったというか。フロンターレ戦の当日も『夜はヘルメットをかぶっていこうか』と、祝勝会のビールかけに備えた話をしていたくらいですから」

 いまでこそ苦笑いしながら話せるが、当時は誰一人として「優勝」の二文字を経験したことがなかった。ゆえにキックオフの笛が鳴り響いた直後から、金縛りにあったかのような違和感に襲われる。

 そして、森島氏とともに思い描いたようにプレーできないもどかしさを覚え、最後は悔し涙を流したのが「6番」を背負い、中盤の底でパスの配球役を務めていた司令塔のユン監督だった。

 今シーズンから監督として15年ぶりに古巣へ復帰。セレッソとしての初タイトルを、しかも因縁のフロンターレと対峙した決勝を制した試合後に、44歳の指揮官は感慨深い口調でこう語っている。

「川崎と言えば、17年前のことを思い出します。目の前にあった優勝を逃してしまった記憶が僕のなかに残っていますけど、こういう結果を出すことで歴史は変わると思っています」

 翌2001シーズンは一転して年間順位で最下位となり、J2への降格を余儀なくされた。他クラブからのオファーをいっさい見ることなく森島氏は残留を決め、ユン監督も母国・韓国への復帰を1年先送りにしてJ1復帰のために全力を尽くした。

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