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Jリーグ 6年前

森島寛晃氏が見たC大阪の新たな歴史。2度の悲劇を経て、ついにたどり着いた初タイトル

text by 藤江直人 photo by Getty Images

「日本一、腰の低いJリーガー」と呼ばれた面影

 ライバルであるガンバに初優勝を献上したばかりか、最終節で勝利した浦和レッズ、鹿島アントラーズ、そしてジェフユナイテッド市原・(ジェフユナイテッド千葉)に勝ち点で並ばれ、得失点差で後塵を拝する5位に転落した悲劇。サッカーの神様に科された試練だと、森島氏は受け止めてきた。

「2度目のチャンスを得たのに、最後の最後で勝ち切れないということは、勝負に対する貪欲さといったものがセレッソには足りなかったのかなと。その意味ではあのまま優勝していたとしても、アントラーズのような常勝軍団になっていったのかと言えば、まだまだ早いと」

 2008シーズンをもって19年間におよんだ現役生活にピリオドを打ってからは、アンバサダーを務めながら愛してやまないセレッソの成長を見守ってきた。ヤンマー時代から一貫して背負ってきた「8番」には、喜怒哀楽のすべてを含めたクラブの歴史が凝縮されている。

 そして2017年11月4日に、香川真司(現ボルシア・ドルトムント)、清武弘嗣をへて「8番」を背負うキャプテン、柿谷曜一朗の手で、優勝カップが表彰台で誇らしげに天高く掲げられた。受け継がれる「8番」の魂を、森島氏はこう語ったことがある。

「僕が引退したときの『8番』のままだったら、おそらく何も残らなかった。その後に真司やキヨ、そして曜一朗が背負ってくれたことで価値を上げてくれた。いまではむしろ僕自身が『8番』をつけていたよかった、と思っているくらいですから」

 現役時代から「日本一、腰の低いJリーガー」と呼ばれた面影は、いまも変わらない。味わわされてきたすべての艱難辛苦を柔和な笑顔に変えてきたからこそ、魂を引き継いだ後輩たちから慕われる。

 ユン監督と一緒にカップを掲げ、ユン監督に次いで胴上げされた光景が、セレッソにおける森島氏の存在を物語っている。ゴール裏をピンク色に染めたファンやサポーターからも「モリシ、モリシ、モリシマ」のコールが鳴り響いた。歴史がようやく変わった。

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