南アでのPK失敗から7年…数多の修羅場経た駒野友一。福岡のJ1昇格めざしPOへ【谷間の世代と呼ばれて】

1979年生まれ組が「黄金世代」と称される一方で、「谷間の世代」と呼ばれていた1981年世代。ワールドユース(現U-20W杯)や五輪ではグループステージ敗退を経験したが、2010年の南アフリカW杯では決勝トーナメントに進出した日本代表チームで軸となる世代となり、今なおJクラブで主力を担う選手たちもいる。この世代の中心的選手であり、現在アビスパ福岡でプレーする駒野友一は、自身が歩んできたサッカー人生について何を思っているのだろうか。(取材・文:元川悦子)

2017年11月25日(Sat)10時20分配信

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて
text by 元川悦子 photo Getty Images
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クロスバーに弾かれてしまったシュート

駒野友一
2010年南アW杯ラウンド16ではPK戦でシュートを失敗してしまった駒野友一【写真:Getty Images】

 パラグアイが3人決め、日本も遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト=当時ヴォルフスブルク)が決めた後、日本の3番目・駒野友一(福岡=当時磐田)がゆっくりとゴール前へ歩み寄った。

 6月30日夕刻、南アフリカ・プレトリアのロフタス・ヴァースフェルドスタジアムに集まった大観衆は、大会通じて献身的なプレーを貫いたDFがPKを蹴る瞬間を固唾を呑んで見守っていた。

「すごく集中していた」と駒野は言う。日本代表の岡田武史監督(現FC今治代表)は「PKの順番は勘で決めた」と後に語ったが、彼のキックが誰よりも正確だと認めていたからこそ3番手を託したに違いない。

「オシムジャパンで挑んだ2007年夏のアジアカップ(東南アジア4ヶ国共催)の3位決定戦でも、僕は3番手を任されました。あの時は『えっ、自分?』とすごく驚いたけど、落ち着いて普通に決めることができた。だから南アの時はそれほどびっくりしなかった」と彼自身も少なからず自信を持っていた。

 蹴った瞬間「少し上に行ったかな」という感触は残ったものの、シュートは枠を捉えると思ったという。が、次の瞬間、ボールはクロスバーを激しく叩く。非情な現実を前に、駒野は両手で顔を覆うしかなかった……。

 日本の敗退が決まった時、駒野は大粒の涙を流し、岡田監督に肩を抱かれた。12歳からの親友・松井大輔(オドラオポーレ=当時グルノーブル)にも慰められても、マッチアップしたパラグアイのネルソン・アエド・バルデス(セル・ポルテーニョ)から「マイフレンド」と励まされても、簡単にショックは癒えなかったという。

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