横浜F消滅の実際。「葬式の日にドンチャン騒ぎ」のようだった天皇杯優勝【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。【後編】(取材・文:宇都宮徹壱)

2017年12月07日(Thu)10時29分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Getty Images
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現場の取材記者は私よりも冷たかった

横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併問題をフリーライターとして追いかけたジュンハシモト氏
横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併問題をフリーライターとして追いかけたジュンハシモト氏【写真:宇都宮徹壱】

前編はこちら

 フリューゲルスのサポーターによる(クラブ存続の)署名活動は、かなり早い時期から始まっていました。Jリーグに署名を提出した時は一緒に行っていますし、サポーターのひとりが(羽田の全日空本社で)癇癪を起こして、灰皿を蹴飛ばして警備員さんともみ合いになったのも見ています。

 そんな感じで、事あるごとにサポーターに密着していましたけど、私自身は合併が撤回されるという発想はなかったですね。「署名が何十万とか何百万集めれば、きっと何とかなる」とか、まったく思わなかった。やっぱりサポーターではないから、どこか引いて見ているところが間違いなくありましたね。

 まあ、自分でも「冷たいヤツだな」と思うところはありました(笑)。けど、現場で取材している記者の皆さんは、もっと冷たいというか、「こなし仕事のひとつ」としてやっているように感じましたね。特にサポーターへの取材で。

「今のお気持ちを一言で」とか、平気で聞くんですよ(苦笑)。そんなの一言で言えるわけがないじゃないですか。サッカー専門誌の人たちは、それなりに親身になって取材していたと思うんです。でも番記者でないと、じっくり取材する余裕はなかったみたいですね。

 どうしても目の前の試合が優先になってしまって。もちろん試合レポートは詳しく書けるんだけど、サポーターの心情や全日空の経営状況まで意識が回らない。

 これは一緒に取材していた、ライターの戸村(賢一)くんの指摘なんですけど、長年全日空に君臨した若狭(得治)さんと前社長だった普勝(清治)さんのラインが崩れたのが(合併の)遠因にあるんじゃないかと。私もそう見ています。

 若狭さんが社長や会長だった時代、確かに頑張って国際線を拡大したんだけど、その分のツケは普勝さんが社長になった時に回ってきて、相当な赤字が溜まっていたと。結局、若狭さんの息がかかった人たちが経営陣から撤退して、普勝さんも97年に社長を辞めるんですが、そこから全日空にリストラの嵐が吹き荒れるんですよね。フリューゲルスの消滅も、その過程の中にあったと思うんですが、そのことを指摘するメディアはありませんでした。

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