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Jリーグ 6年前

炎の守護神・川口能活、プロ25年目の決意。J3相模原の旗頭として背負う2つの使命

text by 藤江直人 photo by Getty Images

日本サッカー界に燦然と輝く川口の功績

川口能活
1998年のフランスワールドカップ出場など、川口能活は日本サッカー界に数々の功績を残してきた【写真:Getty Images】

 静岡県の強豪・清水商業高校(現清水桜が丘)のキャプテンおよび守護神として、決勝戦で国見(長崎)を撃破して全国高校サッカー選手権を制したのが1994年1月。高校日本一GKの肩書とともに、マリノスに加入して今季でプロ生活25年目を迎えている。

 1993年に産声をあげたばかりの、眩い脚光を浴びていたJリーグの舞台で、川口はプロ2年目の開幕直後からレギュラーをゲット。サントリーシリーズを制し、宿敵ヴェルディ川崎と対峙したチャンピオンシップも制覇。新人王にも輝き、Jリーグ王者の肩書に花を添えた。

 その後の軌跡は、あらためて説明するまでもない。1996年アトランタ五輪では王国ブラジル代表を撃破する「マイアミの奇跡」の立役者の一人となり、前述したように悲願のワールドカップ初出場を果たした日本代表を最後尾から鼓舞し続けた。

 真っ赤な熱を放ち続ける存在から、いつしか「炎の守護神」と呼ばれた。2001年10月からはイングランド2部のポーツマスへ移籍し、日本人GKとして初めて海外へ活躍の場を求めた。それでもプロ入りした時点で、四半世紀後にゴールマウスに立つ自分の姿は想像できなかったと笑う。

「だからこそ、いまこうしてプロのチームで試合ができていることに感謝しないといけない。自分を生んで育ててくれた両親、いま現在を支えてくれる家族、そして数多くの指導者がいなかったらいまの自分はないので。いろいろな出会いがあったからこそ、いまもプレーできていると思うので」

 かつては日々の練習で、ストイックなまでに自分自身を追い込むことを信条としてきた。ベスト体重を維持するために一日に5度も体重計に乗り、100グラム単位にまで気をつかった時期もある。

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