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Jリーグ 6年前

炎の守護神・川口能活、プロ25年目の決意。J3相模原の旗頭として背負う2つの使命

text by 藤江直人 photo by Getty Images

相模原加入を後押しした先輩の言葉。クラブ発展への熱き思い

 サッカーと真正面から向き合う、真摯な姿勢はいま現在も変わらない。それでも8月には43歳になり、肉体も変化していると実感している。疲労の回復具合も、当然ながら変わってきている。自分自身に問いかける時間も多くなったと、再び柔和な笑顔を浮かべた。

「若いときはどれだけ追い込んでも、言い方は悪いけど、勝手に回復してくれた。あまり言いたくはないことですけど、歳も歳なので、やっぱり無理はできないですよね。とは言ってもある程度追い込まないと、コンディションも上がってこないので、そこのさじ加減は気にするようにはなりました。

 ただ、練習や試合で実力を証明しないと、生き残っていくこともできない。そこはシビアに考えないといけないし、誰が見てもいい常に状態を見せる、ということは心がけています。多少は無理をしながら、治療とケアも入念に施してしっかりと疲労を取り除くサイクルを、いまは大事にしています」

 J1でもJ2でもないJ3の舞台で、しかも2008年創設と歴史も浅い相模原でプレーすることの意義も感じている。ジュビロ磐田から移ったJ2のFC岐阜を契約満了に伴って退団した2015シーズンのオフ。すぐにオファーを出してくれた相模原の移籍を即決した。

 相模原の創設者にしていま現在は会長を務めている、清水商業の2年先輩でもある望月重良氏からかけられた言葉が、右ひざのけがで半年以上も戦列を離れていた岐阜での2年目に、不完全燃焼の思いを募らせていた川口の琴線に触れた。

「このままで終わってほしくない。ウチでもうひと花咲かせてほしい。一緒にやろう」

 望月会長からはもう一つ、ゴールマウスで放つ圧倒的な存在感をピッチの外へ、相模原を取り巻くあらゆるところへ伝えていってほしい、という使命にも通じる熱き思いを託されている。

 J3が創設された2014シーズンから参戦している相模原は、実はJリーグからJ2クラブライセンスを交付されていなかった。座席数やナイター照明設備、トイレの数、メディアの作業部屋などで、本拠地の相模原ギオンスタジアムがJ2参戦に必要な基準を満たしていないからだ。

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