22歳の遠藤航の頭の中
まだ湘南ベルマーレというチームも、チョウ・キジェ監督のもとで育まれていた「湘南スタイル」という戦い方も、ましてや自身の名前も市民権を得ていなかった2015年1月。22回目の誕生日を迎える直前の遠藤航は、サッカー人生の設計図を明確に描いていた。
「オリンピック本大会の前に、A代表には入りたい。今季のJ1で活躍すればそういうチャンスも出てくるはずだし、サッカー選手である以上は、A代表は目指すべき場所だと思っている。A代表へのこだわりを強く持つことを、個人的なモチベーションにしています。
以前にJ1で戦った選手がA代表でプレーし、ブラジルワールドカップのメンバーにも入ったのを見ていると、A代表という存在に対して親近感が湧いてきたというか、さらに努力すれば手の届くところにあるんじゃないかと自分のなかで思えるようになってきたので」
湘南ベルマーレユースに所属しながら2種登録された2010シーズンを含め、遠藤にとっては3度目のJ1を戦う直前に聞いた抱負だ。勝ち点101を獲得する異次元の強さでJ2を駆け抜けた2014シーズンのオフ。遠藤のもとは浦和レッズからオファーが届いていた。
交渉の席にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)も出馬。最終ラインの一角ではなく、リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-22日本代表で務めていたボランチで起用したいと口説かれた。しかし、熟慮した末に遠藤は断りを入れている。
「J1昇格やJ2降格をともに経験した仲間たちと、もう一度J1で一緒にプレーしたいという気持ちが自分のなかにあった。一番の決め手はそこでしたね」