きっかけとなったシーズン途中のコンバート
センチメンタルな感覚はない。無双状態でJ2を制した過程で深めていった自信と手応えを、一度ははね返されたJ1へ真正面からぶつけたいという思いに駆られていた。サッカー人生を考えたときに、2015シーズンはベルマーレでプレーすることがA代表への一番の近道になると信じて疑わなかった。
当時の遠藤のポジションは3バックの右ストッパー。もっとも、チョウ監督が就任した2012シーズンは3バックの中央を任されていた。J1に昇格した2013シーズンは故障で前半戦を棒に振ったが、復帰した夏場以降は前年を踏襲するように3バックの中央に入った。
クレバーでカバーリング能力に長け、鋭い縦パスで攻撃のスイッチを入れることもできる。指揮官としては、遠藤を真ん中に配置すれば安心できる。しかし、サッカー指導者の一人として、現状のままでいいのかという疑問がチョウ監督のなかで頭をもたげてきた。
「これから先、世界の舞台に出ていくことになるかもしれない20歳の選手に、最終ラインをコントロールする、味方が競ったこぼれ球を拾うことを含めたカバーリングを求める、あるいはパスを配給させるだけでは可哀想というか、いくらチーム事情があるとはいえ、ちょっと違うんじゃないか」
迎えた2013年8月31日。ホームのShonan BMWスタジアム平塚にベガルタ仙台を迎えたJ1第24節から、遠藤は3バックの右にコンバートされた。
「相手との1対1に勝って、攻撃面でもっと前へ出ていってみろ」
チョウ監督から与えられた指示は、遠藤のなかで眠っていた潜在能力を解き放たせるきっかけになった。シーズン途中のコンバートを、遠藤自身もポジティブに受け止めていた。
「チョウさんのなかでは、おそらく『3バックの真ん中はいつでもできる』という考えもあったと思う。自分のプレーの幅を広げて、さらに成長していくためには『球際の激しさを求められるポジションでプレーしたほうがいい』とも言ってくれたので」