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Jリーグ 6年前

ポステコグルーと愛弟子ベリーシャ、Jで再び交差する運命。横浜FM指揮官と広島FWの絆

text by 植松久隆 photo by Getty Images

ポステコグルーが見抜いたベリーシャのポテンシャル

 2人が「師弟関係」を育んだのは、そこからさらに一つ所属を遡ってのブリスベン・ロアでの2011/12年シーズンのこと。同シーズンの開幕前、ポステコグルーは無名のアルバニア代表FW(当時、現在はコソボ代表)をブンデスリーガ2部アルミニア・ビーレフェルトから獲得。それが、ベリシャだった。

 新天地でベリシャは“水を得た魚”のように加入直後から大活躍。実にリーグ戦とファイナルを通して29試合で21得点を叩き出して得点王にも輝き、レギュラーシーズンを制したチームの大エースにのし上がった。実を言えば、ブリスベンに居を構える筆者は、ポステコグルーが2シーズンにわたっての36戦無敗という金字塔を打ち立てたそのシーズンのロアをリアルタイムで追っていた。

「Aリーグ最高のストライカー」と称されるベリシャの豪州に至るまでのキャリアは、決して平坦ではなかった。事実上のプロキャリアのスタートであるブンデスリーガのハンブルガーSVでは目立った成績を残せず、デンマークにレンタルに出された。その後、イングランド・チャンピオンシップ(2部)のバーンリーへ移籍するも、ひざの故障で1年を棒に振り、その後もノルウェー、デンマークへのレンタルの日々が続いた。アルミニア・ビーレフェルトに移ってからの2シーズンも1.5軍的な位置づけに終始した。

 そんな“パッとしない”選手が豪州行きのチャンスを掴んだのは、偶然の産物。その橋渡しをしたのは、Aリーグ有数の名参謀として知られるラド・ヴィドシッチである。元オーストラリア代表ダリオ・ヴィドシッチの父で、当時、ポステコグルーの下でアシスタントコーチを務めていた。

 ドイツでプレーしていた息子ダリオの試合を観戦した際、ヴィドシッチの目に留まったのが、当時25歳のベリシャだった。その頃、就任3季目のチームをさらなる完成度に導くために最前線を任せる人材を探していたポステコグルーに、ヴィドシッチはベリシャ獲得を進言。

 そのポテンシャルを認めたヴィドシッチの慧眼もさることながら、環境が変われば大化けすると確信して最終的にベリシャを呼び寄せる決断を下したのは、ほかならぬポステコグルーだった。ベリシャにとってポステコグルーは、そのキャリアに光を当て、新たな道筋を与えた、言うなれば「恩人」ともいうべき特別な存在なのだ。

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