本田圭佑、必然の豪州デビュー弾。「ケイスケ効果」に沸くメルボルン・V、すでに存在感は絶大

2018年10月22日(Mon)11時59分配信

text by 元川悦子 photo Getty Images
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ミラノでの「成り上がり人生の終わり」

本田圭佑
ミランでは度重なる監督交代の影響などもあり十分な出番を得られなかった【写真:Getty Images】

 欧州で2ヶ国目となったロシアでも最初はトップ下がメインだった。2010年2月のチャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16・セビージャ戦の1stレグでデビューし、3月の2ndレグでゴールまで約30mの位置から直接フリーキックを決め、チームをベスト8へと導いた。

 このインパクトはあまりに強烈で、ロシアのみならず世界中が本田の存在を認めた瞬間だった。日本代表の岡田武史監督も「本田がフランスワールドカップのヒデ(中田英寿)みたいにチームを変えるかもしれない」と親しい関係者に打ち明け、2010年の南アフリカワールドカップ直前に1トップに大抜擢。本田はその期待に応え、自身初のワールドカップで2ゴールを挙げて日本のベスト16入りの原動力となる。

 移籍からの半年間で周囲のあらゆる環境を一変させるほど、彼は一気にスターダムにのし上がった。CSKAモスクワではその後、ボランチが主戦場になったが、どこでもこなせるバランス感覚の良さは当時のレオニド・スルツキ監督にも高く評価された。

 そしてミラン時代は移籍1週間で指揮官がマッシミリアーノアッレグリ、マウロ・タソッティ、クラレンス・セードルフと目まぐるしく変わったため、彼の扱いも激変した。アッレグリ体制では4-3-2-1の2シャドーの一角に入り、中央でタメを作りながら相手の背後を狙ったり、ゴールを奪いにいく仕事をするはずだったが、セードルフ体制では4-2-3-1の右MFへシフト。より縦への推進力を求められるようになった。

 ミランではフィリッポ・インザーギ、シニシャ・ミハイロビッチ、クリスティアン・ブロッキ、ヴィンチェンツォ・モンテッラとその後も指揮官がコロコロ変わり、本田への要求も多岐にわたったが、基本的には右サイドかトップ下など2列目が主戦場だったのは間違いない。ただ、ミランでの4年間は思うようにゴールを重ねられず、本人の言う「成り上がり人生の終わり」を迎えた。アタッカーとしては数字が全てであることを、ここまでのキャリアで痛感したに違いない。

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