世界の“国技”は野球ではなかった…。日本国民が初めて知った世界最大のメジャースポーツ【日本サッカー戦記(2)】

「アジア最弱」と呼ばれていた日本サッカーは、どのようにして成長を遂げたのか。フットボール・ライティングの名手、加部究が送る日本サッカー新旧の歴史群像劇『日本サッカー「戦記」』(カンゼン)から一部抜粋して公開する。(文:加部究)

2019年01月01日(火)10時20分配信

シリーズ:日本サッカー戦記
text by 加部究 photo Getty Images
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「誰か逃げ出してくれ、と祈りたいくらい」

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世界最大のメジャースポーツは何なのか【写真:Getty Images】

 いよいよ64年のオリンピックイヤーを迎えると、日本代表候補選手たちは4月上旬から千葉県検見川グラウンドで約3ヵ月間の合宿に入った。

 JFAが各所属企業の理解協力を得て、関東の選手たちは午前だけ出勤し、その他の地域から参加する選手たちは、この間だけ出向扱いとなった。監督の長沼によれば、合宿のスケジュールは、クラマーが「場合によっては分刻みに細かく作成していった」という。

 CBとして本大会に出場した鈴木良三が語る。

「朝は6時半起床で散歩と食事。それから1時間以上かけて大手町の会社へ通い、午後1時頃には合宿に戻る。2時半から練習が始まり、夜も8時から筋トレ、ヘディングなど、スペシャルトレーニングがありました。特にきつかったのが、クロスカントリーが組み込まれた“魔の水曜日”でした。最後に坂を上り切って終わった瞬間にリフティングを始めるんです」

 鈴木は出勤免除の選手たちが羨ましかったと言うが、逆に片山は会社へ行くことが気分転換になったのではと推察する。

「春から初夏で、電車の中には冷房もなかったから、通勤すればそれだけで汗だくになります。でもずっと検見川では息が詰まる。合宿は代表への生き残りを懸けた競争で、夜になってもバーベルを挙げている者がいればペンデルボールでヘディングの練習をしている者もいた。もう誰か逃げ出してくれ、と祈りたいくらい。そんな張りつめた空気でしたからね」

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