「マイアミの奇跡」。歓喜と絶望の5日間が日本サッカー発展の架橋に【日本代表平成の激闘史(3)】

時代は平成から令和へ。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい平成に起きた名勝負を、各ライターに振り返ってもらう本企画。今回は平成8(1996)年7月に行われたアトランタ五輪での日本代表の戦いを回顧する。(文:元川悦子)

2019年05月14日(Tue)10時00分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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青年指揮官と若武者たちの奮闘

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前園真聖(左)と中田英寿【写真:Getty Images】

 平成30(2018)年、ロシアワールドカップの日本代表を率いた西野朗監督が一躍、知名度を上げる大舞台となったのが、平成8(1996)年のアトランタ五輪である。

 昭和43(1968)年メキシコ五輪の銅メダルから28年。アジアの壁に阻まれ、冬の時代を強いられてきた日本サッカー界を世界へと導いたのが、当時41歳の青年指揮官だったのだ。

 川口能活や城彰二、前園真聖、中田英寿らを擁した日本はブラジル、ナイジェリア、ハンガリーと同組に入った。中でも7月21日の初戦の相手・ブラジルは、2年前の米国ワールドカップ優勝メンバーであるベベット、アウダイールらを擁する「ドリームチーム」。彼らを倒すのは不可能に近いと思われた。

 実際、4万6000人が集まったマイアミ・オレンジボウルのスタンドも大半がカナリア色。若き日本はアウェーの状況下での戦いを強いられたのである。

 西野監督が考えたのは、相手の爆発的攻撃力を徹底的に封じること。3-6-1の布陣を採用し、鈴木秀人にベベット、松田直樹にサビオ、服部年宏にジュニーニョをマンマークさせ、自由を奪う秘策を取ったのだ。さらには、ダイナミックな攻撃参加をウリとする左サイドバックのロベルト・カルロスのシュートを事細かく分析し、その特長を川口らに叩き込ませたのだ。

 こうした守備対策が功を奏し、日本は序盤からシュートの雨嵐を降らされながらもゴールを死守。失点を許さなかった。試合は前半45分をしのぎ、後半に突入した。

 ブラジルの攻撃の圧力はより一層強まったが、川口の神がかり的なスーパーセーブが飛び出し、ブラジルはどうしてもゴールをこじ開けられない。ベベットもサビオもジュニーニョもリバウドも苛立ちを募らせ、日本の術中にはまっていく。

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