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日本代表 4年前

日本代表、ワールドカップ躍進の転機となった10年前の今日。絶不調だった岡田ジャパンに差した3つの光明【英国人の視点】

ちょうど10年前の2010年5月30日、日本代表はイングランド代表との国際親善試合に臨み、1-2で敗れている。日本代表は4連敗で南アフリカワールドカップ本番を迎えることになったが、本大会では2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たした。予想外の躍進のきっかけとなったイングランド戦を、10年経った今、改めて振り返ってみたい。(取材・文:ショーン・キャロル)

text by ショーン・キャロル photo by Getty Images

南アW杯直前、不振が続く岡田ジャパン

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【写真:Getty Images】

一日中降り続いていた雨に加えて、タイムアップが近づく頃には稲光が雷鳴とともに灰色の空を切り裂き始めた。

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 ワールドカップ本大会を目前に控え、日本代表の見通しは明らかに暗いものとなっていた。オーストリアのグラーツで行われたイングランド戦にも1-2で敗れ、これで3連敗となった。

 だが、ちょうど10年前の今日開催されたこのフレンドリーマッチは日本の敗戦に終わったとはいえ、今も私の記憶に強く刻み込まれた一戦となっている。どちらを応援するのか迷ったという個人的事情だけが理由ではない。サムライブルーが南アフリカで予想外の成功を収める上での重要な一歩となった試合だからだ。

 この試合を迎える時点で、岡田武史監督のチームが置かれた状況は順調とは言い難いものだった。

 2010年は自国開催の東アジアサッカー選手権での不甲斐ないパフォーマンスで幕を開けた。通常であれば控え選手たちを起用するこの大会に主力級の23人を選んだ日本代表だが、格下の香港に3-0で勝利したのが唯一の白星。中国とは0-0のドローに終わり、宿敵韓国には1-3の屈辱的な敗戦を喫している。国内での不満は強まる一方だった。

 香港戦を除けば、この年の前半に日本代表が勝利を収めた試合はアジアカップ予選のイエメン戦とバーレーン戦だけだった。ワールドカップ前に行われたホームでの最後の2試合はいずれも無得点での敗戦。4月に大阪で行われたセルビア戦は、後に大宮アルディージャでプレーするドラガン・ムルジャの2発などで0-3に終わった。5月24日に埼玉で行われた試合では韓国に0-2で一蹴されている。

イングランド戦の収穫

 韓国にこの年2度目の敗戦を喫したあと、岡田監督が辞意を表明しそうにもなったほどだった。だがすぐに撤回し、「真剣に言ったわけではない。もっと慎重に言葉を選ぶべきだった」と言い張った。

 それから6日後も岡田監督はベンチに座り、自身2度目となる世界最大の舞台へとチームを率いようとしていた。前回は日本代表がワールドカップ初出場を果たし、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに敗れて勝ち点ゼロに終わった98年フランス大会。今回その成績を上回ることができると予想していた者はこの時点ではわずかだった。

 だが岡田監督は言葉を選ぶのに苦労する一方で、ピッチ上のメンバーを選ぶにあたっては、このイングランド戦を通して大きな収穫を得ることができた。

 韓国戦では4-3-3にシステムを変更し、阿部勇樹をセンターバックとセントラルMFの間の盾として配置していた。イングランド戦はこのアプローチを推し進める新たなチャンスとなった。実際にイングランドに対してライン間のスペースを消すとともに、長谷部誠と遠藤保仁がボールを持って自由にプレーする時間を増やすことに成功していた。

 もう一つの大胆な変更はGK。岡田監督は長年のファーストチョイスだった楢崎正剛に代えて、川島永嗣をゴール前に立たせることを決断した。

自信を深めた敗戦

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【写真:Getty Images】

 UPCアレーナで行われた試合は、イングランド代表にとっては30人の候補メンバーを最後の23人に絞るためのテストとして用いられたことも事実かもしれない。それでもファビオ・カペッロ監督のチームは本大会前の練習相手としては間違いなくトップクラスだった。大半がJリーグでプレーしている選手だった日本代表に対し、リオ・ファーディナンドやフランク・ランパード、ウェイン・ルーニーらも先発に名を連ねたイングランドははるかにクオリティーの高い相手だった。

 だがコンパクトな陣形の日本代表に対し、スローペースで試合をスタートさせたスリーライオンズは、ボールをなかなか保持できずに苦戦していた。ボールコントロールのミスや繋がらないパスが相次ぎ、前半7分には早くも日本が先制点を奪う。

 CKから、濡れたピッチ上を滑る低いクロスを遠藤がエリア内へと送り込む。グレン・ジョンソンの対応が遅れたところに田中マルクス闘莉王が飛び込んでボールに合わせ、12ヤードの距離からGKデイビッド・ジェームズを破るシュートを突き刺した。

 その10分後には川島が岡田監督からの信頼に応え、アーロン・レノンとの1対1をストップ。さらに56分にはランパードのPKもセーブする大仕事をやってのけた。

 ランパードもチームメートたちも、90分間を通して川島の守るゴールを破ることはできなかった。川崎フロンターレの守護神は終了20分前にルーニーが思い切って狙ったシュートも見事に指先で弾き出し、日本代表の新たなナンバーワンとして堂々と名乗りを上げた。最終的にイングランドが勝利を収めたのは、闘莉王と中澤佑二による奇妙なオウンゴールのおかげだった。

 結果は敗戦に終わったとはいえ、この日のパフォーマンスは日本代表が必要としていた自信を大きく高めるものだった。世界レベルの強豪チームとも渡り合える力を秘めていることが示された。

不調のストライカー陣の中に見出した光明

 そのポジティブな要素に加えて、岡田監督はおそらく内心すでに気付いていたであろう事実を再確認することもできた。チームのストライカー陣全員が調子も自信も失ってしまっていたことだ。

 岡崎慎司も、交代出場の森本貴幸も、日本が2-0のリードを奪う絶好のチャンスを逃してしまった。さらに中村俊輔がチームの新たなフォーメーションに合わないこともあり、攻撃強化のためには既存の枠に囚われない思考が必要であることを岡田監督は理解した。そして幸い彼の手元には、そういう仕事を好んで実行する一人の選手がいた。

 チームの主力として着実に存在感を強めつつあった本田圭佑がその人だ。イングランドとの試合後には、この後まもなく世界中で知られることになる強気な姿勢を垣間見せていた。

「結果が全てだと思います」と当時23歳の本田。「僕らは良くなってきてはいるけど、勝てなければ(準決勝進出という)目標は達成できない。この試合で良かった部分があるとすれば、攻撃に出た時にチャンスを作ってシュートを打てていたということです」

 そのシュートのうち2本は本田自身が放ったものだった。1本は交代出場したイングランドのGKジョー・ハートが見事な指先セーブでストップ。もう1本は試合終盤の長距離FKがクロスバーの上を高く越えたものだった。どちらもネットに収まることはなかったが、この積極性が岡田監督に何かを感じさせたようだ。CSKAモスクワに所属していた若武者は2週間後のカメルーン戦でセンターフォワードとして先発し、決勝ゴールを挙げることになった。

 ブルームフォンテーンでのその1勝が、日本代表が自国開催以外でのワールドカップで初の決勝トーナメント進出を果たす旅路の第一歩となった。だが、その基礎が築かれたのが2週間前のオーストリアでの寒い雨の午後であったことを私は決して忘れないだろう。

(取材・文:ショーン・キャロル)

【了】

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