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日本代表 1年前

サッカー日本代表、ワールドカップ背番号の系譜【1~5番】世界を相手に戦った偉大な男たち

シリーズ:日本代表、背番号の系譜 text by 編集部 photo by Getty Images

背番号2


【写真:Getty Images】


フランスW杯:名良橋晃(鹿島アントラーズ)
生年月日:1971年11月26日(26歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

日韓W杯:秋田豊(鹿島アントラーズ)
生年月日:1970年8月6日(31歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

ドイツW杯:茂庭照幸(FC東京)
生年月日:1981年9月8日(24歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

南アフリカW杯:阿部勇樹(浦和レッズ)
生年月日:1981年9月6日(28歳)
個人成績:4試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

ブラジルW杯:内田篤人(シャルケ)
生年月日:1988年3月27日(26歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

ロシアW杯:植田直通(鹿島アントラーズ)
生年月日:1994年10月24日(23歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

 日本代表で背番号2を継承しているのは、鹿島アントラーズ出身の選手が多い様だ。フランスW杯で同背番号を着用したのは、名良橋晃だ。1994年に日本代表デビューを飾った同選手は12月の加茂周監督就任後に代表を遠ざかったが、1997年に鹿島アントラーズに移籍すると代表復帰。同年10月に加茂監督が更迭されたため岡田武史が後任に就くと、フランスW杯出場権獲得に貢献し、本大会全試合に出場した。

 名良橋から受け継いだのが秋田豊だ。同選手は、名良橋と共にフランスW杯に出場したが、フィリップ・トルシエ監督が就任後は徐々に選外に。日韓W杯出場は厳しいかに思われたが、直前の欧州遠征で惨敗したことを受け、日韓W杯に臨むメンバーに名を連ねることとなった。しかし、森岡隆三や松田直樹を擁したチームでは出番が回ってくることはなかった。

 日韓W杯後に発足されたジーコジャパンでは、主に田中誠が背番号2を着用していた。ドイツW杯の臨むメンバーにも選出されていたが、直前の合宿中に左ハムストリングを負傷したためチームを離脱。そのため、追加招集された茂庭照幸が背番号2を受け継いだ。

 フランスW杯から背番号2はDFの選手が継承してきたが、南アフリカW杯で同背番号を付けたのは、ボランチを務めた阿部勇樹だった。同選手は中澤佑二、田中マルクス闘莉王に次ぐセンターバックの控えとみられていたが、本大会では4-1-4-1のアンカーで起用。中盤の底に君臨し、2大会ぶりに決勝トーナメントへ進出した日本を支えた。

 同大会で出場機会を得られなかった内田篤人は、アルベルト・ザッケローニ監督の下で不動の存在に。日本代表では長らく6番を着用していたが、2013年8月のウルグアイ代表戦で伊野波雅彦から譲り受ける形で背番号2に変更。その番号のままブラジルW杯全試合に出場した。

 そして、ブラジルW杯後に背番号2を継承したのも当時鹿島に所属したDF植田直通だ。同選手は2015年1月に初招集されて以降一度代表を離れたが、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督就任後の2016年9月に日本代表に復帰。同監督の電撃解任により、西野朗監督の下で臨んだロシアW杯に臨むメンバーにも選出されたが、出番が回ってくることはなかった。

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