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日本代表 2年前

サッカー日本代表、ワールドカップ背番号の系譜【1~5番】世界を相手に戦った偉大な男たち

シリーズ:日本代表、背番号の系譜 text by 編集部 photo by Getty Images

背番号5


【写真:Getty Images】


フランスW杯:小村徳男(横浜マリノス)
生年月日:1969年9月6日(28歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

日韓W杯:稲本潤一(アーセナル)
生年月日:1979年9月18日(22歳)
個人成績:4試合2得点0アシスト
戦績:ベスト16

ドイツW杯:宮本恒靖(ガンバ大阪)
生年月日:1977年2月7日(29歳)
個人成績:2試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

南アフリカW杯:長友佑都(FC東京)
生年月日:1986年9月12日(23歳)
個人成績:4試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

ブラジルW杯:長友佑都(インテル)
生年月日:1986年9月12日(27歳)
個人成績:3試合0得点1アシスト
戦績:グループステージ敗退

ロシアW杯:長友佑都(ガラタサライ)
生年月日:1986年9月12日(31歳)
個人成績:4試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

 日本のワールドカップ初出場となったフランスW杯で背番号5を着用したのは、小村徳男だ。同選手は1995年の日本代表デビュー以降、井原正巳とコンビを組んでいた。しかし、フランスW杯アジア予選で秋田豊や中西永輔が台頭。これにより序列を落とし、本大会では1試合の出場に終わっている。

 その後、同背番号を受け継いだのは、黄金世代の中心選手として世代別代表でも活躍した稲本潤一だ。2000年に代表デビューを飾ったこのMFは瞬く間に不動の存在となり、同年のアジアカップ優勝や翌年のコンフェデレーションズカップ準優勝に貢献した。2001年夏に期限付きで移籍したアーセナルでは出場機会を得られなかったが、フィリップ・トルシエ監督の信頼は揺るがず。日韓W杯で4試合全てに先発出場して2得点を決め、初の決勝トーナメント進出の立役者となった。

 日韓W杯後、ジーコジャパン発足後も稲本は5番を着用していたが、2003年のコンフェデレーションズカップ後に変更。背番号5は宮本恒靖が着用した。歴代最高のキャプテンとも言われるこのDFは、2004年に行われたアジアカップ準々決勝のヨルダン代表戦のPK戦で主審にサイドの変更を交渉するなど、プレー以外の面でもチームを牽引した。しかし、ドイツW杯では初戦、第2戦と続けてイエローカードを受けてしまい、累積警告によりブラジル代表戦を欠場。グループステージ突破をかけた一戦に出場できず、ドイツを去ることになってしまった。

 ドイツW杯以降、背番号5は今野泰幸が着用していたが、2010年に入ると長友佑都が継承。これ以降、同背番号をこの男が着用し続けている。

 長友は岡田監督の下で定位置を確保すると、そのまま不動の存在となっていった。ワールドカップ初出場となった南アフリカW杯、2014年のブラジルW杯、そしてロシアW杯と3大会連続で全試合にフル出場を果たしている。今なお日本代表に名を連ねているこの男は、カタールW杯でも不動の存在として全試合に出場できるだろうか。

【了】

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