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サッカー日本代表、ワールドカップ背番号の系譜【1~5番】世界を相手に戦った偉大な男たち

シリーズ:日本代表、背番号の系譜 text by 編集部 photo by Getty Images

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サッカー日本代表は、初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて、カタールW杯で7大会連続の出場となる。背番号1~5を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍をみせたのか。今回は過去6大会で1~5を背負った日本代表選手たちを紹介する。※所属チーム、年齢は大会時点のもの。


背番号1


【写真:Getty Images】

フランスW杯:小島伸幸(ベルマーレ平塚)
生年月日:1966年1月17日(32歳)
個人成績:出場なし
戦績:グループステージ敗退

日韓W杯:川口能活(ポーツマス)
生年月日:1975年8月15日(26歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

ドイツW杯:楢崎正剛(名古屋グランパス)
生年月日:1976年4月15日(30歳)
個人成績:出場なし
戦績:グループステージ敗退

南アフリカW杯:楢崎正剛(名古屋グランパス)
生年月日:1976年4月15日(34歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

ブラジルW杯:川島永嗣(スタンダール・リエージュ)
生年月日:1983年3月20日(31歳)
個人成績:3試合6失点
戦績:グループステージ敗退

ロシアW杯:川島永嗣(メス)
生年月日:1983年3月20日(35歳)
個人成績:4試合7失点
戦績:ベスト16


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 日本が初出場となったフランスW杯で背番号1を託されたのは、小島伸幸だった。同GKは当時ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の守護神を務め、天皇杯やアジアカップウィナーズカップ優勝に貢献したが、本大会で日本のゴールを守ったのは当時22歳の川口能活だ。そのため、チーム最年長の小島に出場機会が回ってくることはなかった。

 その川口は、日韓W杯で背番号1を継承した。しかし、2001年に移籍したポーツマスで定位置を確保できず、フランスW杯後に守護神争いをしていた楢崎正剛にその座を奪われてしまった。日韓W杯後に発足したジーコジャパンでも楢崎は守護神を務めていたが、負傷により控えに回った2004年のアジアカップで川口が覚醒。神がかったPKセーブで日本を優勝に導いたことで序列は覆り、2年後のドイツW杯で背番号1を託された楢崎に出番はなかった。

 その後も川口と楢崎は熾烈な守護神争いを繰り広げた。ドイツW杯後に就任したイビチャ・オシム監督の下では川口が、岡田武史監督に代わった2008年からは楢崎が正GKを務めた。2009年以降、川口が負傷により代表を外れていたこともあり、南アフリカW杯は楢崎が正GKだと思われた。しかし、本大会直前のイングランド代表戦で川島永嗣が好プレーを連発。これがきっかけとなり、本大会では川島が守護神に。2大会連続で背番号1を背負った楢崎は、ベンチから日本の決勝トーナメント進出を見届けることになった。

 上記したように、フランスW杯から南アフリカW杯まで背番号1を背負った選手は本大会での出場はなし。本大会前に守護神の座を明け渡す流れとなっていたが、アルベルト・ザッケローニ監督の下で背番号1を付けた川島は、その座を死守。ブラジルW杯全試合に出場した川島は、背番号1を付け本大会のピッチに立った初めての選手となった。

 ブラジルW杯後の14/15シーズン、川島は半年近く無所属の状態に。そのため2015年6月以降日本代表からも遠ざかってしまった。だが、同年12月に加入したダンディー・ユナイテッドでの活躍により、2016年6月に約1年ぶりに復帰。その後、同年夏にメスに移籍。第3GKから正GKの座を掴むと、日本代表でも西川周作から定位置を奪い返し、3大会連続出場となったロシアW杯でも守護神を務めた。

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