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日本代表 1年前

中村俊輔が感じる指導の難しさ。12年前の悔しさを知る元サッカー日本代表2人への期待【コラム】

シリーズ:コラム text by 元川悦子

中村俊輔が叶えられなかった2つの夢



 その思惑通り、次の代表指揮官・ジーコは彼を中田英寿とともに絶対的中心に据え、つねに試合に出し続けた。ドイツW杯の時も俊輔は原因不明の発熱に見舞われたが、それでもスタメンで起用した。そんな恩に報いるべく、初戦・オーストラリア代表戦ではラッキーな形で先制点を奪ったが、チームは終盤に3失点を食らい、衝撃的な逆転負け。ショックを受けた日本代表は大会の最後まで立ち直ることができず、1分2敗のグループ最下位で惨敗した。

 こうした過去3大会の悔しさを晴らすべく向かった2010年南アフリカW杯。彼は「自身の集大成」と位置づけた。所属のセルティックではUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)・マンチェスター・ユナイテッド戦で直接FK弾を決めるなど、世界的評価もアップ。そんな彼をイビチャ・オシム、岡田武史両代表監督もリスペクトし、2009年春までは「俊輔ジャパン」と言われるほど、代表での彼の存在価値は別格だった。

 しかしながら、2009年夏のスペイン・エスパニョール移籍によって風向きが変化し始める。ちょうど同時期に本田圭佑がオランダ1部でゴールを量産して急成長し、俊輔の地位を脅かしつつあった。本人も出番を得られないスペインを離れ、2010年春には古巣・横浜F・マリノスに復帰し、W杯に向けて急ピッチで調子を上げようとしたが、ケガも重なり、なかなかコンディションが戻らない。日本代表の低調な戦いも響き、直前でスタメンから外されるという皮肉な現実を突きつけられることになった。

「ビッグクラブとW杯で活躍するっていう、その2つは叶えられなかった」と本人も残念そうに語っていたが、何が足りなかったのかを突き詰めて今後に生かす覚悟だという。

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