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名波浩が回想する98年W杯。初出場への重圧と歓喜の狭間。「下手くそで弱かったけど色は好きでした」

text by 原田大輔 photo by Kenzaburo Matsuoka , Getty Images

勝てる要素があったクロアチア戦

――第2戦のクロアチア戦は?

「第1戦に敗れても第3戦のジャマイカには間違いなく勝つつもりでいたので、チームとしてはポジティブでしたね。直前のテストマッチも含めれば、アルゼンチン戦も入れて、3試合、手応えを感じる試合が続いていた。

 会場の気温は30℃以上あったし、暑ければ暑いほど嫌なのは相手だとも思ってましたし、圧力を掛け続ければ、どこかで相手もミスをするだろうと。ポイントは中山さんの(34分の)一対一でしょうね。

 ハイプレッシャーの中で、ヒデの早い判断によってボールを奪ってチャンスを作った。まさに岡田さんがやろうとしていたW杯仕様のサッカーができた瞬間だった。それと同時にポイントだったのは、クロスやスルーパスといったラストパスの精度。その精度が異常に低かった。そこはきっと経験が足りなかったんだと思います」

――当時はラストパスの精度について、かなり批判されていましたよね。

「それを踏まえて4年後があると思ってる。2002年日韓W杯のロシア戦で見せた稲本(潤一)の決定力。稲本のゴール前に入って行く動き、そしてその前の(中田)浩二のクロスを落とした柳沢(敦)のプレー。

 あの動き、あのプレーがあれば、オレらもクロアチアに勝てていただろうなって思いながら、4年後のロシア戦を会場で見てました。4年後にオレらが足りなかったものの答えがそこにはあった。

 今大会も含めて、過去4大会でオレら1998年フランスW杯に臨んだ日本代表が圧倒的に一番下手くそで、弱いチームだった。たまたま初めてW杯に出ただけで、技術もないから個人戦術で勝ち上がろうなんて思ってもなかった。ただ、それを自覚した上でも、あのクロアチア戦は勝てる要素がたくさんあったんですよね」

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