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日本代表は進化してきたのか? 1ランク上のステージでブラジルW杯を戦いザックジャパン

text by 西部謙司 photo by Getty Images

ジーコジャパン、何がまずかったのか?

 とはいえ、02年の時点で日本の戦術はもはや最先端ではなく4年遅れである。98年の世界標準に追いついたが、世界のトップはそこから4年進んでいた。すでに98年の時点で、高いフラットラインの危険性は指摘されていたのだ。

 日本は大会中に選手の判断でラインを下げた。いわば、数日でもう4年分の針を一気に進めようとした。守備はそれなりに機能したが、そのかわり攻撃力は犠牲になった。グループを1位通過できたのは、通常なら1つは入ってくる強豪国がいなかったからだ(開催国の日本がシード)。

 次の4年間は監督の選出に問題があり、時計の針は逆戻りした。あるいは、無謀に進めようとして進まなかった。

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予選敗退となった2006年【写真:Getty Images】

 ジーコ監督はブラジル式の4-4-2を導入し、途中で3-5-2に変更したが、戦術的には同じである。あまりにも王道すぎて、ブラジル人なら機能するかもしれないが日本選手にはやや荷が重かった。ただ、選手の質も上がってきていて、アジアカップ連覇などそれなりの成果は出ていた。

 決定的にまずかったのは戦術よりもチーム作りである。戦術の枠組みは大雑把、選手間の話し合いで細部を積み上げていく方式だったのだが、ちょうど選手の国外流出が加速し始めた時期と重なっていた。

 結果的に、ジーコは「国内組」「海外組」の2つの代表チームを平行して作ってしまい、「海外組」合流のたびにやり直し。その繰り返しになってしまう。4年間の進化は遅々としていた。1週間ほど練習期間があると強豪国にも互角に戦えたりするのだが、解散して再招集するとまったく積み上がっていない。その繰り返しだった。

 ドイツでは中心選手の負傷や発病など、不運に見舞われたこともあり、クロアチアに引き分けたほかはオーストラリア、ブラジルに敗れてグループリーグ最下位に終わった。

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