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北海道の熊になってたまるか――。釜本氏との信頼と深い愛。クラマー氏が残した世界基準の育成術

text by 藤江直人 photo by Getty Images

一度で見抜いた釜本氏の稀有な才能

 日本サッカー界初の外国人コーチに就任し、西ドイツ・デュイスブルクでの合宿で日本代表と初対面を果たしてから約2ヶ月後。1960年10月に初来日したクラマーさんは東京五輪へ向けて日本代表を強化する一方で、全国各地を行脚しながら大学生以上の若手選手を対象にした講習会を開いていた。

 そして、ほどなくしてクラマーさんは京都の強豪・山城高校の1年生だった釜本と出会う。場所は西京極陸上競技場。もっとも、集められた約40人のなかになぜ高校生の自分がいるのか、釜本自身は理解していなかった。

「雑用係として呼ばれたとばかり思っていましたからね。そうしたら、デモンストレーションでいきなり僕の名前が呼ばれて、インサイドキックでクラマーさんとパス交換をしたんですよ」

 実は当時の京都府サッカー協会会長で、後に日本サッカー協会の第6代会長を務める藤田静夫氏の計らいで、釜本は講習会に特別参加していた。

 山城高校のエースとして熊本国体でチームを優勝に導いたばかりの釜本に、藤田氏は未来の日本サッカー界を背負う逸材だと期待をかけていた。そして、講習会における一挙手一投足を見ただけで、クラマーさんも釜本の体に秘められた稀有な才能にすぐ気がついたという。

 そして、直後に釜本本人に対してぶつけた言葉に、クラマーさん流の選手育成術が凝縮されている。

「ボールを受けてから振り向くまでの動きが遅い。ブラジルの選手は『イチ』で前を向く。ヨーロッパの一流選手は『イチ、ニー』で前を向く。お前は『イチ、ニー、サン』だ。まるで北海道の熊のように遅い。せめて『イチ、ニー』で前を向け。しっかりとしたトレーニングを積まなければ、北海道の熊のままで終わってしまうぞ」

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