鹿島、柴崎放出も抜かりなし。大型補強敢行も伝統は堅持。常勝軍団が歩む新黄金期への道程

2017年02月02日(Thu)11時47分配信

text by 藤江直人 photo Getty Images
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考えつくされたチーム編成。絶えない鹿島の伝統

鹿島アントラーズのMF小笠原満男。2000年代初頭の黄金期からチームの中心となっている
鹿島アントラーズのMF小笠原満男。2000年代初頭の黄金期からチームの中心となっている【写真:Getty Images】

 たとえば、アルビレックス新潟から加入したJリーグ屈指のボールハンター、レオ・シルバは柴崎の穴を補ってあまりあるボランチとして白羽の矢を立てている。天皇杯を制した直後には、レアル・マドリード戦であげた2ゴールが契機となって、柴崎の移籍が加速することを覚悟していた。

「まだ何も届いていないし、いつ届くかもわからないけど、オファーは多分ある。覚悟はしているし、そのときのための対策も立てている」

 ここで言及された対策こそがレオ・シルバの獲得であり、そこには過去に味わわされた苦い教訓が生かされている。神様ジーコが礎を築いた黎明期の伝統やイズムをアントラーズの屋台骨とするために、鈴木常務は他のクラブとは明らかに一線を画す世代交代とチーム作りを推し進めてきた。

「加入して3年目くらい、高卒ならば20歳すぎでレギュラーとなり、30歳すぎまで『幹』として主軸を張っていく。そのなかで最後の3年間くらいを次の『幹』となる世代と上手く重ねることで、アントラーズの伝統といったものを選手から選手へと引き継がせていく」

 キャプテンを務めるレジェンド、MF小笠原満男が加入したのが1998シーズン。レギュラーに定着し、Jリーグ史上で初めてとなる三大タイトル独占への原動力になったのが3年目の2000シーズンだったことからも、鈴木常務が描いた世代交代プランがしっかりと実践されていることがわかる。

 しかし、2002年のワールドカップ日韓共催大会後に日本サッカー界に訪れた、海外移籍のうねりがアントラーズの構想を大きく狂わせる。ルーキーイヤーからレギュラーを務めてきたDF内田篤人(シャルケ)が抜けたのは、5年目となる2010年の夏。FW大迫勇也(ケルン)も、19ゴールをあげた5年目の2013シーズン終了後にチームを去った。

「(内田)篤人とサコ(大迫)がいまもプレーしていれば、もっと強いチームになっていますよ」

 鈴木常務はこんな言葉とともに、苦笑いしたこともあった。振り返ってみれば小笠原やFW柳沢敦(現アントラーズコーチ)、DF中田浩二(2014シーズン限りで引退)も、一時は海外でプレーしている。選手たちの夢のひとつに海外移籍が加わった時代の流れを、ジレンマを覚えながらも、鈴木常務は「やっぱりサッカー人生は一回限りなので」と尊重することを決めている。

「そのうえで原則としてアカデミー出身の選手や高卒、大卒からの新加入選手、いわゆる生え抜きをアントラーズの色に染めながら育てる作業に主眼を置きます。ただ、その一方で他チームから選手を獲得することも視野に入れていかないと、チーム作りが間に合わない時代になってきたのは確かですね」

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