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“チェアマン”の産みの親。「ダイヤモンドサッカー」解説者が抱いていた言葉へのこだわり【岡野俊一郎さん追悼コラム】

text by 藤江直人 photo by Editorial staff, Getty Images

最後まで答えが見つからなかった「フロント」

 名称は最終的に、誰にでも意味が通じる「Jリーグチャンピオンシップ」となって開催されたことはまだ記憶に新しい。一方で岡野さんのなかで、最後まで答えが見つからなかったものがある。

「フロントと呼ぶと、やっぱりプロ野球界と同じになっちゃうからね。親会社から出向で来て、何年間か努めてはい、さようならと。その間に問題を起こさなければいいという姿勢が見え見えで、Jクラブに骨を埋めよう、なんてのはおりゃあせん」

 コミッショナーをチェアマンとしたように、何か代わりの言葉はないものか。自問自答を繰り返していた岡野さんはあるとき、ブラジルから帰化し、日本代表の司令塔として活躍していたラモス瑠偉に「ブラジルでは何と呼ばれているか調べてくれ」と頼んだことがあると、苦笑いしながら明かしてもくれた。

「そうしたら会うたびに『はい、宿題にします』と威勢のいい返事をくれるんだけど、十何年たっても何も言ってこないね」

 ブラジルの公用語はポルトガル語。日本人にはあまり馴染みの薄い言語のなかで、いまではすっかり市民権を得たもののひとつに「ボランチ」がある。

 記憶をさかのぼっていくと、史上初の外国人指揮官、ハンス・オフト監督に率いられる日本代表が発足した1992年。中盤の下がり目のポジションで大抜擢された森保一(現サンフレッチェ広島監督)を通して、日本サッカー界に「ボランチ」なる言葉が浸透していった。

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