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“チェアマン”の産みの親。「ダイヤモンドサッカー」解説者が抱いていた言葉へのこだわり【岡野俊一郎さん追悼コラム】

さる2日に85年間の生涯を閉じた、日本サッカー協会の第9代会長、岡野俊一郎さんは1968年から東京12チャンネル(現テレビ東京)で約20年間放送された『三菱ダイヤモンドサッカー』の名解説を通じて、サッカーの普及に尽力した。ウィットに富んだ言葉の使い手だった岡野さんは、いまやすっかり市民権を得ている「チェアマン」という言葉の産みの親でもあった。生前に行った取材をもとに、岡野さんが抱いていた言葉への強いこだわりを再現する。(取材・文・藤江直人)

text by 藤江直人 photo by Editorial staff, Getty Images

「なぜプロ野球でも使われているコミッショナーでいくのか」

日本サッカー協会第9代会長の岡野俊一郎さん
日本サッカー協会第9代会長の岡野俊一郎さん【写真:フットボールチャンネル編集部】

 いまやサッカー界という枠を飛び越えて、日常生活のなかにすっかり溶け込んでいる言葉のひとつに「チェアマン」がある。組織のトップを意味する英語『Chairman』が初めて日本サッカー界に登場したのは、四半世紀以上も前の1991年11月1日だった。

 長く悲願とされてきた日本プロサッカーリーグが社団法人として設立され、トップに就任した川淵三郎・プロリーグ設立準備室長が「チェアマン」を拝命した。馴染みの薄い言葉に対して覚えた違和感は、実は川淵自身も心の片隅に抱いていたのかもしれない。

 社団法人の最高責任者の正式な呼称は、法的には「理事長」となる。日本プロサッカーリーグ設立とトップ就任が正式発表される前に、上部団体となる日本サッカー協会の副会長を務めていた岡野俊一郎さんのもとを川淵が挨拶に訪れたときだった。

 場所は岡野さんが代表取締役を務めていた、明治6年創業の和菓子の老舗『岡埜栄泉』の事務所。JR上野駅界隈を窓越しに一望できる雑居ビルの最上階の一室におけるやり取りを、岡野さんは苦笑いしながら明かしてくれたことがある。

「理事長という呼び方は古臭いのでコミッショナーという通称でやります、と川淵君が言ったんだよね。僕はその瞬間に『馬鹿言うんじゃない。何を考えているんだ』と文句を言いましたよ。

せっかくプロ野球とはまったく違った発想で、企業中心ではなく地域を主体にしてクラブを作るという理想を掲げてスタートするのに、なぜプロ野球でも使われているコミッショナーでいくのか、とね。

 川淵君は瞬間湯沸かし器みたいな性格だから、『岡野さん、それじゃあ対案を出してください』と言ったんだよね。それでちょっと考えて、チェアマンでいこうとなったわけです」

 このやり取りがなければ、もしかすると第5代の村井満が務めるいま現在も、Jリーグのトップはコミッショナーと呼ばれているかもしれない。これまでの歴史でチェアマンをコミッショナーに置き換えてみただけで逆に違和感を覚えてしまうほど、言葉が与える印象ははかり知れないほど大きなものがある。

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