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Jリーグ 7年前

G大阪・丹羽大輝の折れない心。3年間リーグ出場なしの若手時代に学んだ危機感の重要性【The Turning Point】

シリーズ:The Turning Point text by 海江田哲朗 photo by Asuka Kudo, Getty Images

移籍先では様々なポジションでプレー。トップ下も経験

アビスパ福岡で3年半プレーした丹羽
アビスパ福岡で3年半プレーした丹羽【写真:Getty Images】

――徳島では中盤の底でも起用されて。

「それもガンバでの3年間が生きているんです。僕はセンターバックとして昇格したから、真ん中でやりたい気持ちが強くあったんですが、紅白戦でもセンターバックでは出られずにサイドやボランチに回されました。

 最初、徳島との話し合いでは、センターバックで考えていると監督や強化部長から言われていたんですよ。ところが、いざふたを開けてみれば、キャンプのときにヘッドコーチから『アンカーをやってみろ。向いているから』と言われる。

 サッカーでは、そういう状況になるのが珍しくない。まあ、最初に聞かされたときは、あれれっとなるんですけどね。話が違うやんと。ただ、僕は徳島に移籍するとき、ここでダメだったらサッカーを辞めようと腹をくくっていたから、ポジションがどこであろうとやらなあかん。

 ガンバでいろいろ考えながらやった経験がここで生きました。ちゃんとやっといて良かったなと。結果的に何事もつながるんです」

――ほかにもさまざまなポジションでプレーしたそうですね。

「キーパーとフォワード以外は全部。前線からボールを奪うために、1.5列目でもプレーしましたよ。いまのガンバで、僕がトップ下をやったことがあると話すと、めっちゃ笑われますけど。その経験も自分のなかで生きています。人はいろいろな経験によって成長するもの」

――その後、大宮アルディージャで半年、アビスパ福岡で3年半プレー。ネイビーブルーの印象が濃く、私は福岡育ちの選手と誤認してました。

「よく言われます。九州男児っぽいと」

――気質に合った?

「第二の故郷と思えるくらい福岡は好き。街も、サポーターも。県民性に合って、受け入れてもらえたのかな。福岡でもセンターバック、ボランチ、サイドバックと幅広く起用され、貴重な経験を積ませてもらいました」

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