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日本代表 6年前

『これが最後』。香川を復活に導いた覚悟。苦悩と挫折から、躍動までの4年間【検証・西野J<2>/ロシアW杯】

シリーズ:検証・西野J text by 元川悦子 photo by Getty Images

相次ぐ負傷。日本代表での立場も危うく

 最たるものが2015年アジアカップ準々決勝・UAE戦でのPK失敗だろう。香川と本田圭佑という2大看板が肝心のシュートを外していたら、日本は勝てるはずがない。10番は「自分が決めてれば勝てたシーンもあって本当に申し訳ない」と虚ろな表情でお詫びを繰り返すばかり。当時の彼は明らかに自信を失っていた。

 2015年3月のヴァイッド・ハリルホジッチ監督就任後も目覚ましい復調は果たせなかった。トーマス・トゥヘル監督がドルトムントを率いた15/16シーズン前半戦はヘンリク・ムヒタリアン、ピエール=エメリク・オーバメヤン、マルコ・ロイスとともに「ファンタスティック4」と称され、復活の兆しをつかんだかと思われたが、2016年に入るとゴンサロ・カストロとの定位置争いに苦しみ、徐々にプレー機会が減っていく。

 代表では同3月の2次予選・シリア戦での2発など気を吐いたが、同年9月の最終予選突入後は原口元気ら若い世代に主役の座を奪われる。出番が減り、得点という結果からも遠ざかっていく現実を目の当たりにしながら、香川は2016年の年末、自らを奮い立たせるようにこう語っていた。

「ロシアまであと1年半ある。それを視野に入れたら、今、苦しんでいるくらいがちょうどいい」と。

 本人は「今がどん底だ」と信じて疑わなかったに違いない。本当にそうであれば、あとは右肩上がりで浮上するだけ…。そのはずだったが、2017年はさらなる苦しみが彼を襲う。大きなきっかけとなったのが、6月の親善試合・シリア戦での左肩脱臼だ。

 開始早々の時間帯にムリして相手を追いに行ったところでアクシデントに見舞われ、直後の最終予選・イラク戦を棒に振っただけでなく、ドルトムントの17/18シーズン開幕にも間に合わなかった。

 クラブで試合に出られなければ、ハリル前監督は代表でも容赦なくメンバーから外す。8月の最終予選大一番・オーストラリア戦で香川はベンチに座り、ロシア切符獲得の原動力になれなかった。それのみならず、11月の欧州遠征では代表落選。「ハリル体制では香川の居場所はない」とまで評されるようになる。

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