「ドーハの悲劇」。躍進に湧く日本代表を一夜で絶望に…悲劇を招いた最悪のシナリオ【日本代表平成の激闘史(2)】

時代は平成から令和へ。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい平成に起きた名勝負を、各ライターに振り返ってもらう本企画。今回は平成5(1993)年10月28日に行われた米国ワールドカップアジア最終予選、日本代表対イラク代表の一戦を回顧する。(文:元川悦子)

2019年05月13日(Mon)10時10分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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躍進に湧く日本サッカー界

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日本代表のエース・三浦知良【写真:Getty Images】

 平成4年(1992年)8月のダイナスティカップ(中国)と11月のアジアカップ(広島)で、日本代表はともに優勝。そして翌年5月にはJリーグ開幕と、当時の日本サッカー界は急激な躍進に湧いていた。

 それまで異次元の存在だったワールドカップ出場が現実味を帯びてきたのもこの頃。ハンス・オフト監督率いる日本代表は平成5年(1993年)4~5月にかけて行われた米国ワールドカップアジア1次予選を順当に1位通過。10月にカタール・ドーハでセントラル開催される最終予選を控えていた。

 ところが、絶対的左サイドバックの都並敏史が7月に左足首を骨折。代役探しが非常に難航した。9月のスペイン遠征や10月のアジア・アフリカサッカー選手権・コートジボワール戦で勝矢寿延や江尻篤彦、三浦泰年らをテストし、不安を抱えながら本番に向かった。

 初戦・サウジアラビア戦と第2戦・イラン戦で先発した三浦のところを徹底的に突かれ、都並不在の穴を露呈。サウジには0-0で引き分けたが、イランに1-2で敗れるといういきなりの苦境に追い込まれてしまう。

 そこでオフトは左サイドバックを勝矢にスイッチ。攻撃参加を捨てて、守りをガッチリと固める策を講じた。それが奏功し、日本は第3戦・北朝鮮戦を3-0で勝利。息を吹き返す。

 そして第4戦では永遠の宿敵・韓国をエース・カズ(三浦知良)の決勝弾で1-0で撃破。この時点で6チーム中首位に立った日本は、引き分けでも2位以内に入ってアメリカ行きの切符を手にできるところまで来た。

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