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日本代表 4年前

日本代表、背番号6の系譜。内田篤人、森重真人…予選で活躍するも、本大会では輝けなかった選手たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

ドイツW杯

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ブラジル戦の先発メンバー

監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退

背番号6:中田浩二(マルセイユ)
生年月日:1979年7月9日(26歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 フランスワールドカップを3戦全敗で終えた日本代表の監督に就任したフィリップ・トルシエは、来るべき4年後の自国開催のワールドカップに向け、「フラット3」と呼ばれる3バックを導入した。世代別代表の指揮官も兼務するトルシエは、ワールドユースでも例外なく3バックを使っている。

 99年のワールドユースでは、大会前に2人のDFが負傷離脱するアクシデントに見舞われた。すると、トルシエはボランチだった中田浩二を左センターバックにコンバートする決断を下す。急造センターバックは全7試合に出場し、チームは史上初の決勝進出を成し遂げた。

 シドニー五輪や日韓ワールドカップでも中田はフラット3の一角を独占した。難しい役割が課されるポジションだったが、冷静な判断力で最終ラインを支えた中田は、トルシエジャパンにおける影のコンダクターともいえる存在だった。

 中田がプレーする鹿島アントラーズのレジェンド、ジーコが日本代表の監督に就任すると、中盤でプレーする機会が増えている。04年のアジアカップではヨルダンとの準々決勝でPKを決めて準決勝進出に貢献すると、準決勝では先制点、決勝では勝ち越しゴールを挙げて日本代表を大会連覇に導いた。

 05年冬、中田は恩師トルシエが指揮を執るオリンピック・マルセイユに移籍する。選手登録に時間がかかったためにデビューは3月までずれ込んだが、PSGとのナショナルダービーにも出場してチームの居場所を確保し、2度目のワールドカップに臨んだ。

 ドイツワールドカップの初戦、ジーコは中田英寿と福西崇史を中盤の底に並べ、トップ下に中村俊輔を起用した。この試合に逆転負けを喫すると、第2戦からは4-4-2にシステムを変更し、2列目に中村と小笠原満男を起用。中田に出番はないまま、日本代表はクロアチアに0-0で引き分け、わずかな望みを懸けてブラジル戦に臨んだ。

 玉田圭司のゴールで先制したものの、ロナウドとジュニーニョ・ペルナンブカーノにゴールを許して逆転される。中田浩二はこの直後に小笠原に代わってこの大会初出場を果たしたが、3分後に失点。試合終盤にはロナウドにこの試合2ゴール目を決められて万事休すとなった。

 日本代表は2大会連続の決勝トーナメント進出を叶えることはできず。中田浩二の出場はブラジル戦のわずかな時間に終わっている。

●ブラジル戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
加地亮
坪井慶介
中澤佑二
三都主アレサンドロ

▽MF
中村俊輔
中田英寿
稲本潤一
小笠原満男

▽FW
巻誠一郎
玉田圭司

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