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日本代表 4年前

日本代表センターバックの系譜。井原正巳から吉田麻也まで、W杯で強豪国のFWに対峙したDFたち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

日韓W杯

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チュニジア戦の先発メンバー

監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16

背番号3:松田直樹(横浜F・マリノス)
生年月日:1977年3月14日(25歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

背番号17:宮本恒靖(ガンバ大阪)
生年月日:1977年2月7日(25歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

背番号16:中田浩二(鹿島アントラーズ)
生年月日:1979年7月9日(22歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

 1998年に日本代表の監督に就任したフィリップ・トルシエは、「フラット3」と呼ばれる3バックを導入している。3バックの中央、リベロのポジションで指揮官の信頼を掴んだのは、清水エスパルスでプレーする森岡隆三。シドニー五輪世代には既にA代表でもプレーしていた宮本恒靖がいたが、トルシエは本大会に森岡をオーバーエイジで呼んでいる。

 黄金世代と呼ばれたU-20日本代表が出場した99年のワールドユースでは、大会直前に2人のDFが負傷離脱するピンチに見舞われた。すると、トルシエは中盤が本職の中田浩二を最終ラインにコンバート。決勝までの7試合すべてに先発した急造DFはこの大会で指揮官の信頼を勝ち取り、トルシエジャパン不動の左センターバックとなった。

 松田直樹は96年のアトランタ五輪に飛び級で出場したが、トルシエ監督の下では世代別代表でも控えに回ることが多かった。トルシエに反抗して一時は代表から“追放”されたが、00年にA代表デビューを果たすと、同年のアジアカップ優勝に貢献してフラット3の右に定着している。

 ベルギーとの初戦は、松田、森岡、中田の3人が最終ラインで起用された。鈴木隆行と稲本潤一のゴールで逆転に成功したが、相手と接触して左足を痛めた森岡がプレー続行不可能となってしまう。トルシエは森岡に代えて宮本を投入したが、直後にDFラインの裏を突かれて失点。ワールドカップ初勝利はお預けとなった。

 森岡の負傷は原因が突き止められず、第2戦以降も欠場を余儀なくされた。宮本は大会直前の練習試合で鼻骨を骨折していたが、フェイスガードをつけてプレー。ロシアとチュニジアに勝利、ラウンド16ではトルコに敗れたものの、自国開催となったワールドカップで初めて決勝トーナメントに駒を進めた。

●チュニジア戦の先発メンバー

▽GK
楢崎正剛

▽DF
松田直樹
宮本恒靖
中田浩二

▽MF
明神智和
稲本潤一
戸田和幸
小野伸二
中田英寿

▽FW
鈴木隆行
柳沢敦

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