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Jリーグ 4年前

遠藤渓太、ドイツ移籍に迷いなし。マリノス在籍16年、世界に挑む「言葉」に込めた覚悟

横浜F・マリノスから世界へ。25日に遠藤渓太のウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が発表された。育成組織からの生え抜きが、ドイツ・ブンデスリーガ1部へと旅立つ。東京五輪を1年後に控えたタイミングでの移籍には、遠藤なりの覚悟が込められていた。その決断に迷いはない。(取材・文:舩木渉)

text by 舩木渉 photo by Shinya Tanaka

ラストゲームは不運な形で…

遠藤渓太 中村俊輔
【写真:田中伸弥】

「自分の全てをしっかりぶつけられればいいと思うし、それが今僕ができる最大の恩返しだと思っている」

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 ドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリン移籍が濃厚になったと報じられた翌日、遠藤渓太は横浜F・マリノスでの最後の試合になる26日の北海道コンサドーレ札幌戦に向けて力強く決意を語っていた。

 しかし、移籍が正式に発表されてから臨んだマリノスでのラストマッチは17分で負傷交代という結末に。開始1分に突破を仕掛けたプレーで左太ももに違和感を覚え、「チームの力になれないのに出ても仕方がない」と自ら交代を申し出た。

 試合翌日の27日に自身の移籍発表会見に臨んだ遠藤は「そこまで大事に至らず、自分が思っていたよりも全然大丈夫だった」と明かした。負傷で決まりかけていた移籍が破談になることもあるので、ほっと一安心だ。

 育成組織から15年以上過ごしたクラブから世界へ飛び立つ。彼が明確に海外移籍を意識し始めたのはU-20日本代表として2017年のU-20ワールドカップに出場してからだという。

 当時のチームメイトは続々と欧州リーグに参戦し、評価を高めている。ガンバ大阪からオランダへ移籍した堂安律を皮切りに、板倉滉や中山雄太、三好康児、久保建英らも活躍の場を欧州に移している。冨安健洋はグループリーグ最終戦のイタリア戦で同じピッチに立っていたリカルド・オルソリーニとボローニャでチームメイトになった。

 ウニオン・ベルリンから最初に獲得の打診があったのは今年5月頃だった。その時は「どこまで本格的な話に発展するかというのはまだわからなかった」が、話はトントン拍子に進み、6月中旬には本格的に移籍交渉が進展。7月22日の横浜FC戦前にはドイツ移籍がほぼ決まっており、試合後には大先輩の中村俊輔にもピッチの上で直接自らの海外移籍を報告した。そして25日の期限付き移籍発表に至る。

「正直、今回の移籍に関しては全く悩まず決めました。周りに話したことはありましたけど、その相談は『行った方がいいですか? 行かない方がいいですか?』のような質問ではなく、行くことは自分の中で決めていました。移籍に向かうスピード感は早かったと思いますけど、気持ちの部分の整理はついていましたね」

「信頼を得られるまで諦めない」

 遠藤のプレーを初めて見たのは、2015年の日本クラブユースサッカー選手権だった。横浜F・マリノスユースに所属していた彼は、とにかくゴールを決めまくっていて、当時は「ずいぶん“持ってる”子だな」と思ったのを記憶している。

 同期の和田昌士とともにトップチーム昇格を果たして迎えた2016年、当時のエリク・モンバエルツ監督の抜てきを受けて高卒ルーキーながらJ1リーグ戦23試合に出場。世代別代表にも選ばれるようになり、2017年のU-20ワールドカップにも出場する。

 取材者として本格的に遠藤に接したのは、そのU-20ワールドカップが最初だった。今になって改めて初先発だったイタリア戦を見返してみたら、今とは別人のよう。攻撃の軸が右サイドの堂安だったこともあって、左サイドの遠藤にはなかなかボールが回ってこず、ポジショニングやドリブル突破も中途半端だった。堂安のゴールをアシストしたものの、試合を通したインパクトは薄かった。

 ただ、よく覚えているのは今と変わらない取材時の受け答えだ。目に見える「結果」を追求する姿勢は、当時も非常に強かった。露骨なビッグマウスではないが、言葉の端々にギラつきが垣間見える。プレーへの自信以上に、ちょっとやそっとでは折れない精神力の強さがあった。

 今年、マリノスでJ1通算100試合出場を達成した。高卒でプロ入りして、マリノスから一度も離れず、4年半で100試合に到達したのは立派な成果だ。常に強力な外国人助っ人やJ屈指の日本人アタッカーがいるポジションで、途中出場だとしても継続的に頼られる選手だったのは間違いない。

 常時レギュラーだったわけではなく、調子が良くても起用されない現状への不満を口にすることもあった。ただ、そこで腐るのではなく、「見返してやる」と反骨心を自分のエネルギーに変えてプレーした。気持ちがプレーに影響するのは脆さもある反面、強みに変わることもある。遠藤のように逆境を力に変えられる選手は強い。

 欧州で日本の常識や考え方は通用しないし、理不尽なこともたくさん起こるだろう。そういう時に小さくまとまってしまうのではなく、今までのように受け入れて、いい意味で開き直って、気持ちをプレーにぶつけてもらいたい。

「ボールが回ってこないんだったら、自分で相手からボールを奪って、それを自分の好きなようにプレーするか、ボールをこいつに集めようと思ってもいいように、最近の建英みたいな感じですけど、圧倒的に自分の実力を見せれば自ずと周りもそうなると思う。どちらにしろそのためには結果が必要になってくると思うので、そこの信頼を得られるまでやればいいかなと思う。諦めることはない」

 この言葉を聞くと、やっぱり心配する必要はなさそうだ……。

先輩や監督も太鼓判

遠藤渓太
【写真:田中伸弥】

 遠藤の選手としての理想像は「二桁ゴールを毎シーズン取れるような、得点力のあるサイドアタッカー」だ。

「今だったら縦に初速で抜いてクロスまで行けますけど、間合いがどこまで自分についてくるかとかわからない。もちろん南米系の選手とかもたくさんいる中で、球際とか日本でも味わえないことをたくさん持っている人もいると思う。そういう選手には球際が強いという良さがあると思うんですけど、僕には別の良さがあると思うし、自分のストロングポイントをどんどん見せていければいいと思います。短所よりも自分の長所を伸ばしていきたいです」

 ドイツ移籍は、自分のための「選手としての選択」。マリノスへの愛着もあるが、延期になった東京五輪を1年後に控えて、より選手としての高みを目指すためにウニオン・ベルリンへの挑戦を選んだ。

 昨年の同じ時期にベルギーへ移籍した経験を持つ天野純は、育成組織の後輩でもある遠藤のドイツでの活躍を確信している。「若い時にこうやっていけるのは本当に羨ましいですし、彼には後悔のないように思い切って自分を表現して、ダメだったらまたマリノスに戻ってくればいいし、本当に行けるところまで行ってほしい」と語り、次のように続けた。

「調子がいい時も使われなかったり、そういった悔しい思いをしている彼を見てきました。それを彼はポジティブに変えて、結果をずっと出し続けて移籍を勝ち取ったと思うので、そのメンタルの部分は本当に成長したと思うし、もちろんゴールを決めるところやアシストするところも本当に成長していると思う。僕はやれると思っているので、頑張ってきてほしいなと思います」

 2年半にわたって厳しくも温かく成長を見届けてきたアンジェ・ポステコグルー監督も、遠藤の移籍を前向きに捉えている。レギュラーから外した時期もあったが、それでも信頼は厚かった。ここぞの場面で起用していたのも、その証だ。

「遠藤は今年もいい形でプレーし続けて、得点やアシストもしている。若い選手たちが成長して、クラブを代表して海外に行くのはすごく嬉しく誇らしいことだ。欧州でプレーしたいという彼らの昔からの夢を応援したい。しっかり成長させて、向こうに行かせたいと多くの選手に対して思っている。クラブを代表していってくれることは本人にとっても、クラブにとってもすごくいいことだと思う」

「泥水すすってでも」に込めた覚悟

 ウニオン・ベルリンの期限付き移籍を発表したリリースの中で、遠藤は「僕にとってF・マリノスは小さい時からの憧れでした。今思うと、小学校で配られるF・マリノスの下敷きだったり、メモ帳、ノート。街中で見かけるポスターやフラッグ。それら全てが、少年だった時の僕がF・マリノスでプロサッカー選手を目指す原動力になっていました」とコメントした。

 スクール時代から含めると16年、人生の半分以上を過ごしたクラブへの愛着と感謝を移籍会見でも口にしていた。

「本当に自分自身がマリノスでプロになるのが、この街でヒーローになる唯一の道だと思っていたし、僕の子供の頃は本当にそれしか考えていなかったので、スクールの頃から僕をここまで導いて来れた人たちには感謝しかありません。僕自身、小学校、中学校とそこまで陽のあたる場所にいたわけではないので、そんな自分をここまでステップアップさせてくれた、ジュニアユースやユースに昇格させてくれた、自分を見極めてくれた人たちに感謝したいです」

 そして「自分にとって初めての移籍ということもあってもちろん不安もあります。それでも一切逃げるつもりはないし、どんな壁に当たっても泥水すすってでも何かを掴んでこようと思っています」というコメントに込めた真意も語る。

「『1年で帰ってきました。やっぱり無理でした』とはなりたくない。自分にプレッシャーをかける意味でもそういう言葉を選んだつもりですし、その覚悟を込めてという感じですね」

 今年のシーズン開幕前には、こんなことも言っていた。「自分はどんな状況であれ変わらない。気持ちを力に変えられるタイプだと思う。だから何もなくなった時に自分がどうできるか。もっともっと上にいけるんじゃないかと思います」と。

 ドイツに行ったら、遠藤のことを知っていて初めから評価してくれる人はいない。まさに「何もなくなった」状況からのスタートだ。裸一貫、ゼロからの挑戦。彼にとってこれほど燃えるシチュエーションはないのではないか。

 ブンデスリーガは9月中旬に開幕予定だ。初の海外挑戦で欧州4大リーグという高いハードルを越えられれば、その先にはとてつもない可能性が広がっている。遠藤には武器である爆発的な突破で、ウニオン・ベルリンのファン・サポーターを大いに熱狂させてもらいたい。それこそがこれからできる、育ててくれたマリノスへの「最大の恩返し」になるはずだ。

(取材・文:舩木渉)

【了】

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